土掻《つちかき》や、木鋏《きばさみ》や、鋤鍬《すきくわ》の仕舞われてある物置にお島はいつまでも、めそめそ泣いていて、日の暮にそのまま錠をおろされて、地鞴《じだんだ》ふんで泣立てたことも一度や二度ではなかったようである。
父親は、その度《たんび》に母親をなだめて、お島を赦《ゆる》してくれた。
「多勢子供も有《も》ってみたが、こんな意地張《いじっぱり》は一人もありゃしない」母親はお島を捻《ひね》りもつぶしたいような調子で父親と争った。
お島は我子ばかりを劬《いた》わって、人の子を取って喰《く》ったという鬼子母神《きしぼじん》が、自分の母親のような人であったろうと思った。母親はお島一人を除いては、どの子供にも同じような愛執を持っていた。
日が暮れる頃に、お島は物置の始末をして、漸《やっ》と夕飯に入って来たが、父親は難《むずか》しい顔をして、いつか長火鉢の傍で膳《ぜん》に向って、お仕着せの晩酌をはじめているところであった。外はもう夜の色が這拡《はいひろ》がって、近所の牧場では牛の声などがしていた。往来の方で探偵ごっこをしていた子供達も、姿をかくして、空には柔かい星の影が春めいてみえた。
「まあ一月でも二月でも家においてやるがいい。奉公に出したって、もう一人前の女だ」父親はそんなことを言って、何かぶつくさ言っている母親を和《なだ》めているらしかったが、お島は台所で、それを聞くともなしに、耳を立てながら、自分の食器などを取出していた。
「今に見ろ、目の飛出るようなことをしてやるから」お島はむらむらした母への反抗心を抑えながら、平気らしい顔をしてそこへ出て行った。切《せ》めて自分を養家へ口入した、西田と云う爺《じい》さんの行《や》っているような仕事に活動してみたいとも思った。その爺さんは、近頃陸軍へ馬糧などを納めて、めきめき家を大きくしていた。実直に働いて来た若いものにくれてやった姉などを、さも幸福らしく言たてる母親を、お島は苦々しく思っていたが、それにつけても、一生作などと婚礼するためには、養家の閾《しきい》は跨《また》ぐまいと考えていた。食事をしている間《ま》も、昂奮《こうふん》した頭脳《あたま》が、時々ぐらぐらするようであった。
十五
或日の午後におとらが迎いに来たとき、父親も丁度家に居合せて、ここから二三町先にある持地《もちじ》で、三四人の若い者を指
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