田舎へ稼《かせ》ぎにいっている兄の傍には、暫く係合《かかりあ》っていた商売人《くろうと》あがりの女が未だに附絡《つきまと》っていたり、嫂《あによめ》が三つになる子供と一緒に、東京にあるその実家へ引取られていたりした。父親の助けになる男片《おとこきれ》と云っては、十六になるお島の弟が一人家にいるきりであった。
家が段々ばたばたになりかかっていると云うことが、そうして五日も六日も見ているお島の心に感ぜられて来た。母親のやきもきしている様子も、見えすいていた。
十六
お島は父親が内へ入ってからも、暫く裏の植木畑のあたりを逍遥《ぶらつ》いていた。どうせここにいても、母親と毎日々々|啀《いが》みあっていなければならない。啀み合えば合うほど、自分の反抗心と、憎悪の念とが募って行くばかりである。長いあいだ忘れていた自分の子供の時分に受けた母親の仕打が、心に熟《う》み靡《ただ》れてゆくばかりである。一万二万と弟や妹の分前はあっても、自分には一握《ひとつかみ》の土さえないことを思うと頼りなかった。それかと言って、養家へ帰れば、寄って集《たか》って急度《きっと》作と結婚しろと責められるに決っていた。多くの取引先や出入《ではいり》の人達には、もうそれが単なる噂ではなくて、事実となって刻まれている。お島は作の顔を見るのも厭だと思った。あの禿《はげ》あがったような貧相らしい頸《えり》から、いつも耳までかかっている尨犬《むくいぬ》のような髪毛《かみのけ》や赤い目、鈍《のろ》くさい口の利方《ききかた》や、卑しげな奴隷根性などが、一緒に育って来た男であるだけに、一層醜くも蔑視《さげす》ましくも思えた。あんな男と一緒に一生暮せようとは、どうしても考えられなかった。実母がそれを生意気だといって罵《ののし》るのはまだしも、実父にまで、時々それを圧《おし》つけようとする口吻《こうふん》を洩されるのは、堪《た》えられないほど情なかった。
大分たってから皆《みんな》の前へ呼ばれていった時、お島は漸《やっ》と目に入染《にじ》んでいる涙を拭《ふ》いた。
「私《わし》もこの四五日|忙《せわ》しいんで、聞いてみる隙《ひま》もなかったが、全体お前の了簡《りょうけん》はどういうんだな」
お島が太《ふ》てたような顔をして、そこへ坐ったとき、父親が硬《かた》い手に煙管《きせる》を取あげながら訊ねた。お島
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