の。そして、もっと綺麗に暮していけるような人でなければ、一生紙をすいたり、金の利息の勘定してるのはつくづく厭だと思いますわ」

     十三

 盆か正月でなければ、滅多に泊ったことのない生みの親達の家へ来て二三日たつと、直《じき》に養母が迎いに来た。
 お島が盆暮に生家を訪ねる時には、砂糖袋か鮭《さけ》を提《たずさ》えて作が急度《きっと》お伴《とも》をするのであったが、この二三年商売の方を助《す》けなどするために、時には金の仕舞ってある押入や用箪笥《ようだんす》の鍵《かぎ》を委《まか》されるようになってからは、不断は仲のわるい姉や、母親の感化から、これも動《と》もすると自分に一種の軽侮《けいぶ》を持っている妹に、半衿《はんえり》や下駄や、色々の物を買って行って、お辞儀されるのを矜《ほこ》りとした。姉や妹に限らず、養家へ出入《ではいり》する人にも、お島はぱっぱと金や品物をくれてやるのが、気持が好かった。貧しい作男の哀願に、堅く財布の口を締めている養父も、傍へお島に来られて喙《くち》を容《い》れられると、因業《いんごう》を言張ってばかりもいられなかった。遊女屋から馬をひいて来る職工などに、お島は自分の考えで時々金を出してくれた。それらの人は、途《みち》でお島に逢うと、心から叮嚀《ていねい》にお辞儀をした。
 大方の屋敷まわりを兄に委せかけてあった実家の父親は、兄が遊蕩《ゆうとう》を始めてから、また自分で稼業《かぎょう》に出ることにしていたので、お島はそうして帰って来ていても滅多に父親と顔を合さなかった。毎日々々|箸《はし》の上下《あげおろ》しに出る母親の毒々しい当こすりが、お島の頭脳《あたま》をくさくささせた。
「そう毎日々々働いてくれても、お前のものと云っては何《なん》にもありゃしないよ」
 母親は、外へ出て広い庭の草を取ったり、父親が古くから持っていて手放すのを惜んでいる植木に水をくれたりして、まめに働いているお島の姿をみると、家のなかから言聞かせた。広い門のうちから、垣根に囲われた山がかりの庭には、松や梅の古木の植わった大きな鉢《はち》が、幾個《いくつ》となく置駢《おきなら》べられてあった。庭の外には、幾十株松を育《そだて》てある土地があったり、雑多の庭木を植つけてある場所があったりした。この界隈《かいわい》に散ばっているそれ等の地面が、近頃兄弟達の財産として
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