》をして、ずんどのなかへ花を挿《さ》しているのを、お島は見かけた。
もと人の妾などをしていたと云う不幸なその女は、どうかすると二時間も三時間も遊んで帰ることがあった。上方《かみがた》に近い優しい口の利き方などをして、名古屋育ちの小野田とはうま[#「うま」に傍点]が合っていた。
「私だって偶《たま》には逆様《さかさ》にお花も活《い》けてみとうございますよ」
外から帰って、ふと二階の梯子《はしご》をあがって行くお島の耳に、その日も午《ひる》から来て話込んでいたその年増《としま》の媚《なま》めかしい笑い声が洩《も》れ聞えた。嫉妬《しっと》と挑発とが、彼女の心に発作的におこって来た。
女が帰って行くとき、お島はいきなり帳場の方から顔を出して行った。
「お気毒《きのどく》さまですがね、宅《たく》はお花なんか習っている隙《ひま》はないんですから、今日きり私《わたくし》からお断りいたします」
お島は硬《こわ》ばった神経を、強《し》いておさえるようにして、そう言いながら謝礼金の包を前においた。
もう三十七八ともみえる女は、その時も綺麗に小皺《こじわ》の寄った荒《すさ》んだ顔に薄化粧などをして、古いお召の被布姿《ひふすがた》で来ていたが、お島の権幕に怯《お》じおそれたように、悄々《すごすご》出ていった。
「この莫迦!」
二階へ駈《かけ》あがって往ったお島は、いきなり小野田に浴せかけた。毎日|鬢《びん》や前髪を大きくふっくらと取った丸髷《まるまげ》姿で出ていた彼女は、大きな紋のついた羽織もぬがずに、外眦《めじり》をきりきりさせてそこに突立っていた。
「髯《ひげ》なんかはやして、あんなものにでれでれしているなんて、お前さんも余程《よっぽど》な薄野呂《うすのろ》だね」
お島はそう言いながら、そこにあった花屑《はなくず》を取あげて、のそりとしている小野田の顔へ叩《たた》きつけた。吊《つり》あがったような充血した目に、涙がにじみ出ていた。
「何をする」
小野田も怒りだして、そこにあった水差を取ってお島に投げつけた。彼女の御召の小袖から、水がだらだらと垂れた。
負けぬ気になって、お島も床の間に活かったばかりの花を顛覆《ひっくらか》えして、へし折りへし折りして小野田に投《ほう》りつけた。
劇《はげ》しい格闘が、直《じき》に二人のあいだに初まった。小野田が力づよい手を弛《ゆる》め
前へ
次へ
全143ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング