《つく》ねてやったりして、半日も話相手になっていた。
「どう云うんでしょう、私の体は……」
お島は看護婦などのいる傍で、いつかも印判屋の上さんに訊《たず》ねたと同じことを言出した。
「夫婦の交際《まじわり》なんてものは、私にはただ苦しいばかりです。何の意味もありません」
「それは貴女《あなた》がどうかしてるのよ」
患者は日ましに血色のよくなって来た顔に、血の気のさしたような美しい笑顔を向けて、お島の顔を眺めた。
「でも可笑《おかし》いんですの。こんなことを言うのは、自分の恥を曝《さら》すようなもんですけれど、実際あの人が変なんです」
お島は紅い顔をして言った。
「ええ、そんな人も千人に一人はありますね」
お島が診てもらった医者に、それを言出すほど気がおけなくなったとき、彼はそう言って笑っていた。
位置が少し変っているといわれた自分の体を、お島はそれまでに、もう幾度《いくたび》も療治をしてもらいに通ったのであった。
「当分自転車をおやめなさい。圧迫するといけない」
お島は苦しい療治にかかった最初の日から、そう言われて毎日和服で外出《そとで》をしていた。
長いお島の病院がよいの間、小野田が、多く外まわりに自転車で乗出した。
顧客《とくい》先で、小野田が知合になった生花《はな》の先生が出入《ではい》りしたり、蓄音器を買込んだりするほど、その頃景気づいて来ていた店の経済が、暗いお島などの頭脳《あたま》では、ちょと考えられないほど、貸や借の紛紜《こぐらかり》が複雑になっていたが、それはそれとして、身装《みなり》などのめっきり華美《はで》になった彼女は、その日その日の明い気持で、生活の新しい幸福を予期しながら、病院の門を潜《くぐ》った。
百六
小野田は時々外廻りに歩いて、あとは大抵店で裁《たち》をやっていたが、隙《すき》がありさえすれば蓄音器を弄《いじ》っていた。楽遊《らくゆう》や奈良丸《ならまる》の浪華節《なにわぶし》に聴惚《ききほ》れているかと思うと、いつかうとうと眠っているようなことが多かった。
しげしげ足を運んでくる生花《はな》の先生は、小野田が段々好いお顧客《とくい》へ出入《ではい》りするようになったお島に習わせるつもりで、頼んだのであったが、一度も花活《はないけ》の前に坐ったことのない彼女の代りに、自身二階で時々無器用な手容《てつき
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