かったことなどが、一層彼女の頭脳《あたま》をむしゃくしゃさせていた。小野田がその父親を呼寄せさえしなければ、あの家もどうか恁《こう》か持続けて行けたように考えられた。あの飲んだくれのために、どのくらい自分の頭脳が掻廻《かきまわ》され、働きが鈍らされたか知れないと思った。
「撲《ぶち》のめしても飽足りない奴だ」
お島は、酔ったまぎれに自分を離縁しろといって、小野田を手甲擦《てこず》らせていたと云う父親の言分から、内輪が大揉《おおも》めにもめて、到頭田舎へ帰って行くことになった父親に対する憎悪が、また胸に燃えたって来るのを覚えた。小野田の寝顔までが腹立しく見返えられた。
「せっせと仕事をして下さいよ。莫迦みたいな顔して寝ていちゃ困りますよ」
小野田が薄目をあいて、ちろりと彼女の顔を見たとき、お島はいらいらした声で言った。
お島は台所で飯を食べている時分に、やっと小野田はのそのそ起出して来た。
「仕事々々って、そうがみがみ言ったって仕事ができるもんじゃないよ」
小野田は火鉢の傍へ来て、莨《たばこ》をふかしはじめながら、まだ眠足《ねむりた》りないような赭《あか》い目をお島の方へ向けた。
「それよりか硝子の工面もしなければならず、店だって飾なしにおかれやしない」
「知らないよ、私は。自分でもちっと心配するがいいんだ」お島は言返した。
百一
小野田はそこへ脱ぎっぱなしにしたお島の汗ばんだ襦袢《じゅばん》や帯が目に入ったり、不断著を取出すために引掻《ひっかき》まわした押入のどさくさした様子などを見ると、とても世帯は持てない女だといって、自分のために離縁を勧めた父親の辞《ことば》が思い出された。
「技倆《はたらき》があるか何だか知らんが、まあ大変なもんだ。とても女とは思えんの」
そうも言って、荒いお島の調子に驚いていた父親の善良そうな顔も思出された。
「朝から出て、あれは一日どこを何をして歩いてるだい」
父親はそうも言って、不思議がったが、お島自身に言わせると、朝は誰かが台所働きをしてくれて、気持よく家を出なければ、とても調子よく外で働くことはできないというのであった。帰って来た時にも、自分を迎えてくれる衆《みんな》の好い顔をでも見なければ埋らないと言うのであった。それで小野田は順吉と一緒に、どうかすると七輪に火をおこしたり、漬物桶《つけものおけ》へ手を
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