が買ってくれた草履をはいて、軽い打扮《いでたち》で汽車に乗ったのであったが、お島も絽縮緬《ろちりめん》の羽織などを着込んで、結立ての丸髷頭で来ていた。
足音の騒々しい構内を、二人は控室を出たり入ったりして、発車時間を待っていたが、このステーションの気分に浸っていると、自然《ひとりで》に以前の自分の山の生活が想出せて来て、涙含《なみだぐ》ましいような気持になるのであった。
「どうでしょう。西洋人は活溌《かっぱつ》でいいね」
日光へでも行くらしい、男女《おとこおんな》の外国人の綺麗《きれい》な姿が、彼等の前を横《よこぎ》って行ったとき、お島は男に別れる自分の寂しさを蹴散《けちら》すように、そう云って、嘆美の声を放った。
「どうだね、一緒に行かないか」
浜屋は瀬戸物のような美しい皮膚に、この頃はいくらか日焦《ひやけ》がして、目の色も鋭くなっていたが、お島が暫くでも夫婦ものの旅行と見られるのが嬉しいような、目眩《まぶし》いような気持のするほど、それは様子が好かった。
客車に乗ってからも、お島は窓の前に立って、元気よく話を交えていたが、そのうちに汽車がするする出て行った。
「そのうち景気が直ったら、一度温泉へでも来るさ」
浜屋は窓から顔を出して、どうかすると睫毛《まつげ》をぬらしているお島に、そんな事を言っていた。
お島はとぼとぼと構内を出て来たが、やっぱり後髪《うしろがみ》を引《ひか》るるような未練が残っていた。
盆が来ると、お島は顧客先《とくいさき》への配りものやら、方々への支払やらで気忙《きぜわ》しいその日その日を送っていた。そして着いてから葉書をよこした浜屋のことも忘れがちでいたが、自分たちの不幸な夫婦であったことが、一層判って来たような気がした。お島は時々その事に思い耽《ふけ》っているのであったが、それを小野田に感づかれるのが、不安であった。お島は可恥《はずか》しい自分の秘密な経験を押隠すことを怠らなかった。
暑い盛に博覧会が閉《とざ》されてから、お島たちの居周《いまわり》の町々には、急に潮がひいたように寂しさが襲って来たと同時に、二人の店にもこれまで紛らされていたような、頽廃《たいはい》の色が、まざまざと目に見えて来た。
多くの建物の、日に日に壊されて行く上野を、店を支えるための金策の奔走などで、毎日のようにお島は通った。やがてまた持切れそうもな
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