度も逢っているうちに、自然《ひとりで》に彼女の口から洩聞されるので、その事も気にかかっているらしかったが、やっぱり自分の手でそれをどうしようと云う気にもなれないらしかった。
「そんな事を言わずにまあ辛抱するさ」
お島はその時の調子で、どうかすると心にもない自分の身《み》の上《うえ》談《ばなし》がはずんで、男に凭《もた》れかかるような姿態《ようす》を見せたが、聴くだけはそれでも熱心に聴いている浜屋が、何時でもそういった風の応答《うけごたえ》ばかりして笑っているのが物足りなかった。
「あの時分とは、まるで人が変ったね」お島は男の顔を眺めながら言った。
「変ったのは私ばかりじゃないよ」お島は男がそう云って、自分の丸髷姿をでも見返しているような羞恥《しゅうち》を感じて来た。
「月日がたつと誰でもこんなもんでしょうか」
お島は二階の六畳で疲れた体を膝掛《ひざかけ》のうえに横《よこた》えている男の傍に坐って、他人行儀のような口を利いていたが、興奮の去ったあとの彼女は、長く男の傍にもいられなかった。
部屋には薄明い電気がついていた。お島はどうしても直《ぴった》り合うことの出来なくなったような、その時の厭な心持を想出しながら、涼気《すずけ》の立って来た忙しい夕暮の町を帰って来たが、気重いような心持がして、店へ入って行くのが憚《はばか》られた。
「己《おれ》も一度その人に逢っておこう」
小野田はお島から金を受取ると、そう云って感謝の意を表《あらわ》した。
「可《い》けない可けない」お島はそれを拒んで、「あの人は莫迦《ばか》に内気な人なんです。田舎にもあんな人があるかと思うくらい、温順《おとな》しいんですから、人に逢うのを、大変に厭がるんです」
小野田はそれを気にもかけなかったが、やっぱりその男のことを聴きたがった。
「それは東京にも滅多にないような好い男よ」お島は笑いながら応えたが、自分にも顔の赧《あか》くなるのを禁じ得なかった。
九十八
避暑客などの雑沓《ざっとう》している上野の停車場《ステーション》で、お島が浜屋に別れたのは、盆少し前の或日の午後であったが、そんな人達が全く引揚げて行ってから、お島たちはまた自分の家のばたばたになっていることに気がついた。
浜屋はお島に買せた色々の東京|土産《みやげ》などを提げこんで、パナマを前のめりに冠《かぶ》り、お島
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