に二階に寝ていたお島に小言をいった。彼女は筋張った顳※[#「※」は「需+頁」、第3水準1−94−6、172−13]《こめかみ》のところを押えながら、小野田を遣返《やりかえ》した。
 お島はいつもそれが起ると、生死《いきしに》の境にでもあるような苦しみをする月経時の懈《だる》さと痛さとに悶《もだ》えていた。
「それに私はこの体です。とてもお父さんの面倒はみられませんよ」

     九十三

「そんな事を言ってもいいのか」
 そう言って極《きめ》つけそうな目をして、小野田は疳癪《かんしゃく》が募って来るとき、いつもするように口髭《くちひげ》の毛根を引張っていたが、調子づいて父親を※[#「※」は「疑」の左側+欠」、第3水準1−86−31、173−4]待《もてな》していた彼女に寝込まれたことが、自分にも物足りなかった。
 お島は煩《うるさ》そうに顔を顰《しか》めていたが、小野田が悄々《すごすご》降りていったあとでも、取《とり》つき身上《しんしょう》の苦しさと、自分の心持については、何も知ってくれないような父親の挙動《ふるまい》が腹立しかった。自分にどんな腕と気前とがあるかを見せようとでもするように、紛らされていた利己的な思念が、心の底からむくれ出して来るように感じて、我儘な涙が湧立って来た。
 お島がじっと寝てもいられないような気がして、下へ降りて行ったとき、父親はもう酒をはじめていた。小野田も興がなさそうに傍に坐っていた。
「どうもすみません」
 お島は何もない餉台《ちゃぶだい》の前に坐っている父親の傍へ来て、やっぱり顔を顰めていた。
「私はこの病気が起ると、もうどうすることも出来ないんです。それに家も、これから夏は閑《ひま》ですから、お※[#「※」は「疑」の左側+欠」、第3水準1−86−31、173−15]待《もてな》しをしようと思っても、そうそうは為《し》きれないんです」
「そうともそうとも、それどこじゃない。私《わし》は一時のお客に来たものでないから」
 父親はいつまでも倅夫婦の傍で暮そうとしている自分の心持を、その時も口から洩《もら》したが、お島が積《つも》って燗《つ》ける酒に満足していられないような、強い渇望がその本来の飲慾を煽《あお》って来ると、父親はふらふらと外へ出て、この頃|昵《なじ》みになった近所の居酒屋へ入っていくのが、習慣になった。そして家でおとな
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