あった博覧会の賑《にぎわ》いで、土地が大した盛場になっていた為であった。
 その家は、不断は眠っているような静かな根津の通りであったが、今は毎日会場からの楽隊の響が聞えたり、地方から来る色々な団体見物の宿泊所が出来たりして、近い会場の浮立った動揺《どよめき》が、ここへも遽《あわただ》しい賑かしさを漂わしていた。
 陽気がややぽかついて来たところで、小野田が出した懇《ねんご》ろな手紙に誘《いざな》われて、田舎で毎日野良仕事に憊《くたび》れている彼の父親が、見物にやって来たり、お島から書送った同じ誘引状に接して、彼女が山で懇意になった人々が、どやどや入込んで来たりした。世のなかが景気づいて来たにつれて、お島たちは自分たちの浮揚るのは、何の造作もなさそうに思えていた。
 この店を張るについての、二人の苦しい遣繰《やりくり》を少しも知らない父親は、来るとすぐ倅《せがれ》夫婦につれられて、会場を見せられて感激したが、これまで何一つ面白いものを見たこともない哀れな老人《としより》を、そうした盛り場に連出して悦ばせることが、お島に取っては、自分の感激に媚《こ》びるような満足であった。
 上野は青葉が日に日に濃い色を見せて来ていた。蟻《あり》のように四方から集ってくる群衆のうえに、梅雨《つゆ》らしい蒸暑い日が照りわたり、雨雲が陰鬱な影を投げるような日が、毎日毎日続いた。
 お島は新調の夏のコオトなどを着て、パナマを冠《かぶ》った小野田と一緒に、浮いたような気持で、毎日のように父親をつれて歩いたが、親に甘過ぎる男の無反省な態度が、時々彼女の犠牲的な心持を、裏切らないではいなかった。無知な老人《としより》の彳《たたず》んで見るところでは、莫迦孝行な小野田は、女にのろい男か何ぞのように、いつまでも気長に傍についていて、離れなかった。驚きの目を※[#「※」は「目+爭」、第3水準1−88−85、172−6]《みは》って、父親の立寄って行くところへは、どんな満《つま》らないものでも、小野田も嬉しそうに従《つ》いて行って見せたり、説明したりした。
「それどころじゃないんですよ。私たちはそう毎日々々親の機嫌を取っているほど、気楽な身分じゃないんですからね」
 晩方になると、きっとお仕着せを飲ませることに決《きま》っている父親への、酒の支度を疎《おろそ》かにしたといって、小野田がその時も大病人のよう
前へ 次へ
全143ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング