みみたぶ》まで紅くなった。若い男などを有《も》っている猥《みだら》な年取った女のずうずうしさを、蔑視《さげす》まずにはいられなかったが、やっぱりその事が気にかかった。人並でない自分等夫婦の、一生の不幸ででもあるように思えたりした。
朝になっても、体中が脹《は》れふさがっているような痛みを感じて、お島はうんうん唸《うな》りながら、寝床を離れずにいるような事が多かった。そして朝方までいらいらしい神経の興奮しきっている男を、心から憎く浅猿《あさま》しく思った。
「こんな事をしちゃいられない」
お島は註文を聞きに廻るべき顧客先《とくいさき》のあることに気づくと、寝床を跳《はね》おきて、身じまいに取かかろうとしたが、男は悪闘に疲れたものか何ぞのように、裁板の前に薄ぼんやりした顔をして、夢幻《ゆめうつつ》のような目を目眩《まぶ》しい日光に瞑《つぶ》っていた。
「それじゃ私が旦那に一人、好いのをお世話しましょうか」
上さんは、笑談《じょうだん》らしく妾《めかけ》の周旋を頼んだりする小野田に言うのであったが、お島はやっぱりそれを聞流してはいられなかった。
「そうすればお上さんもお勤めがなくて楽でしょう」
「莫迦なことを言って下さるなよ。妾なんかおく身上《しんしょう》じゃありませんよ」
お島は腹立しそうに言った。
九十一
五六箇月の間に、そこの仮店《かりみせ》で夫婦が稼ぎ得た収入が二千円近くもあったところから、狭苦しい三畳にもいられなかった二人が、根津の方へ店を張ることになってからも、外の活動に一層の興味を感じて来たお島は、時々その事について、親しい友達に秘密な自分の疑いを質《ただ》しなどしたが、それをどうすることもできずに、忙しいその日その日を紛らされていた。
生理的の不権衡《ふけんこう》から来るらしい圧迫と、失望とを感ずるごとに、お島は鶴さんや浜屋のことが、心に蘇《よみが》えって来るのを感じた。
「成功したら、一度山へ行ってあの人にも逢ってみたい」
そんな秘密の願が、気忙《きぜわ》しい顧客《とくい》まわりに歩いている時の彼女の心に、どうかすると、或異常な歓楽でも期待され得るように思い浮かんだりした。一つは、妾になら為《し》ておこうといったことのある、その男への復讐心《ふくしゅうしん》から来る興味もあったが、現在の自分等夫婦には、欠けているらしい或要求と
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