は、お島の帰りでもおそいと、時々近所のビーヤホールなどへ入って、蓄音機を聴きながら、そこの女たちを相手に酒を飲んでいては、お島に喰ってかかられたりしたが、やっぱり自分の立てた成算を打壊《ぶちこわ》されながら、その時々の気分を欺かれて行くようなことが多かった。
「あの御父《おとっ》さんの産んだ子だと思うと、厭になってしまう。東京へでも出ていなかったら、貴方《あんた》もやっぱりあんなでしょうか」
 お島はにやにやしている小野田の顔を眺めながら笑った。
「莫迦《ばか》言え」小野田はその頃延しはじめた濃い髭《ひげ》を引張っていた。
「だからビーヤホールの女なぞにふざけていないで、少しきちんとして立派にして下さいよ。あんなものを相手にする人、私は大嫌い、人品《じんぴん》が下りますよ」
 お島はどうかすると、父親の面差《おもざし》の、どこかに想像できるような小野田の或卑しげな表情を、強《し》いて排退《はねの》けるようにして言った。小野田が物を食べる時の様子や、笑うときの顔容《かおつき》などが、殊《こと》にそうであった。
「子が親に似るのに不思議はないじゃないか。己は間男《まおとこ》の子じゃないからな」
 小野田は心から厭そうにお島にそれを言出されると、苦笑しながら慍然《むっ》として言った。
「間男の子でも何でも、あんな御父さんなんかに肖《に》ない方が可《い》いんですよ」
「ひどいことを言うなよ。あれでも己を産んでくれた親だ」
 小野田は終《しまい》に怒りだした。
「お前さんはそれでも感心だよ。あんな親でも大事にする気があるから。私なら親とも思やしない」

     八十七

 そんな気持の嵩《こう》じて来たお島には、自分一人がどんなに焦燥《やきもき》しても、出世する運が全く小野田にはないようにさえ考えられてきた。彼の顔が無下《むげ》に卑しく貧相に見えだして来た。ビーヤホールの女などと、面白そうにふざけていることの出来る男の品性が、陋《さも》しく浅猿《あさま》しいもののように思えた。
「己はまた親の悪口《あっこう》なぞ云う女は大嫌いだ」
 顔色を変えて、お島の側を離れると、小野田は黙って仕事に取りかかろうとして、電気を引張って行ってミシンを踏みはじめた。
 そのミシンは、支払うべき金がなかったために、お島が機転を利《き》かして、機械の工合がわるいと言って、新しく取替えたばかりの代
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