段々|木立際《こだちぎわ》に這い拡がって行った。口も利かずに黙って腰かけているお島は、ふと女坂を攀登《よじのぼ》って、石段の上の平地へ醜い姿を現す一人の天刑病《てんけいびょう》らしい躄《いざり》の乞食が目についたりした。
石段を登り切ったところで、哀れな乞食は、陸《おか》の上へあがった泥亀《どろがめ》のように、臆病らしく四下《あたり》を見廻していたが、するうちまた這い歩きはじめた。そして今夜の宿泊所を求めるために、人影の全く絶えた、石段ぎわの小さい祠《ほこら》の暗闇の方へいざり寄って行った。
「ちょっと御覧なさいよ」お島は小野田に声かけて振顧《ふりむ》いた。
今まで莨を喫《す》っていた小野田は、ベンチの肱《ひじ》かけに凭《もた》れかかっていつか眠っていた。
「この人は、為様がないじゃないの」お島は跳《はね》あがるような声を出した。
「行きましょう行きましょう。こんな所にぐずぐずしていられやしない」お島は慄《ふる》えあがるようにして小野田を急立《せきた》てた。
二人は痛い足を引摺《ひきず》って、またそこを動きだした。
「何でもいいから芝へ行きましょう。恁《こ》うなれば見えも外聞もありゃしない」お島はそう言って倦《う》み憊《くたび》れた男を引立てた。
食物《たべもの》といっては、昼から幾《ほと》んで[#「で」は底本どおり、岩波文庫版では「ど」、151−11]何をも取らない二人は、口も利けないほど饑《う》え疲れていた。
川西の店へ立ったのは、その晩の九時頃であった。
八十二
長い漂浪の旅から帰って来たお島たちを、思いのほか潔《きよ》く受納れてくれた川西は、被服廠《ひふくしょう》の仕事が出なくなったところから、その頃職人や店員の手を減して、店がめっきり寂しくなっていた。
そこへ入って行ったお島は、久しい前から、世帯崩《しょたいくず》しの年増女《としまおんな》を勝手元に働かせて、独身で暮している川西のために、時々上さんの為《す》るような家事向の用事に、器用ではないが、しかし活溌《かっぱつ》な働き振を見せていた。
前《せん》にいた職人が、女気のなかったこの家へ、どこからともなく連れて来て間もなく、主人との関係の怪しまれていたその年増は、渋皮の剥《む》けた、色の浅黒い無智な顔をした小躯《こがら》の女であったが、お島が住込むことになってから、一層綺麗に
前へ
次へ
全143ページ中104ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング