の山が、それでもまだ残っていると云うのであった。その山を売りさえすれば、多少《いくらか》の金が手につくというのであった。そしてそうさせるには、二人で機嫌《きげん》を取って、父親を悦《よろこ》ばせてやらなければならないのである。
「そんな気の長いことを言っていた日には、いつ立てるか解りやしないじゃないか」
お島はその晩も二階で小野田と言争った。時々他国の書生や勤め人をおいたりなどして、妹夫婦が細い生活の補助《たすけ》にしているその二階からは、町の活動写真のイルミネーションや、劇場の窓の明《あかり》などが能《よ》く見えた。四下《あたり》には若葉が日に日に繁《しげ》って、遠い田圃《たんぼ》からは、喧《かまびす》しい蛙《かえる》の声が、物悲しく聞えた。春の支度でやって来た二人には、ここの陽気はもう大分暑かった。小野田はホワイト一枚になって寝転んでいたが、昔住慣れた町で、巧く行きさえすれば、お島と二人でここで面白い暮しができそうに思えた。上海《シャンハイ》くんだりまで出かけて行くことが、重苦しい彼の心には億劫《おっくう》に想われはじめていた。
「厭《いや》なこった、こんな田舎の町なんか、成功したって高が知れている。東京へ帰ったって威張れやしないよ」そう言って拒むお島の空想家じみた頭脳《あたま》には、ぼろい金儲けの転がっていそうな上海行が、自分に箔《はく》をつける一廉《ひとかど》の洋行か何ぞのように思われていた。
八十
其処《そこ》をも散々|遣散《やりちら》してN――市を引揚げて、どこへ落着く当もなしに、暑い或日の午後に新橋へ入って来たとき、二人の体には、一枚ずつ著《つ》けたもののほか何一つすら著いていなかった。
鼻息の荒いお島たちは、人の気風の温和でそして疑り深いN――市では、どこでも無気味《ぶきみ》がられて相手にされなかった。一月二月《ひとつきふたつき》小野田の住込んでいた店《たな》では、毎日のように入浸《いりびた》っていたお島は、平和の攪乱者《こうらんしゃ》か何ぞのように忌嫌《いみきら》われ、不謹慎な口の利き方や、遣《やり》っぱなしな日常生活の不検束《ふしだら》さが、妹たち周囲の人々から、女雲助か何かのように憚《はばか》られた。著いて間もない時分の彼女から、東京風の髪をも結ってもらい、洗濯や針仕事にも働いてもらって、頭髪《あたま》のものや持物などを、惜
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