れに続いてまた口を利いた。
「私は二日や三日寝ないだって平気なもんさ」
お島は元気らしく応《こた》えた。
晦日の夜おそく、仕上げただけの物を、小僧にも脊負《しょ》わせ、自分にも脊負って、勘定を受取って来たところで、漸《やっ》と大家や外の小口を三四軒片着けたり、職人の手間賃を内金に半分ほども渡したりすると、残りは何程もなかった。
「宅《うち》じゃこういう騒ぎなんです」
品物を借りてある女が、様子を見に来たとき、お島は振顧《ふりむ》きもしないで言った。
店には仕事が散《ちら》かり放題に散かっていた。熨斗餅《のしもち》が隅《すみ》の方におかれたり、牛蒡締《ごぼうじめ》や輪飾が束《つか》ねられてあったりした。
「貴女《あなた》の方は大口だから、今夜は勘弁してもらいましょうよ」
お島はわざと嵩《かさ》にかかるような調子で言った。
小野田に嫁の世話を頼まれて、伯母がこれをと心がけていたその女は、言にくそうにして、職人の働きぶりに目を注いでいた。女は居辛《いづら》かった田舎の嫁入先を逃げて来て、東京で間借をして暮していた。着替や頭髪《あたま》の物などと一緒に持っていた幾許《いくら》かの金も、二三|月《かげつ》の東京見物や、月々の生活費に使ってしまってから、手が利くところから仕立物などをして、小遣を稼《かせ》いでいた。二三度逢ううち直にお島はこの女を古い友達のようにして了った。
「まあ宅《うち》へ来て年越でもなさいよ」お島は女に言った。
女は惘《あき》れたような顔をして、火鉢の傍で小野田と差向いに坐っていたが、間もなく黙って帰って行った。
「いくらお辞儀が嫌いだって、あんなこと言っちゃ可《い》けねえ」後で小野田がはらはらしたように言出した。
「ああでも言って逐攘《おっぱら》わなくちゃ、遣切《やりき》れやしないじゃないか」お島は顫《ふる》えるような声で言った。
「不人情で言うんじゃないんだよ。今に恩返しをする時もあるだろうと思うからさ」
六十九
同じような仕事の続いて出ていた三月《みつき》ばかりは、それでもまだどうか恁《こう》かやって行けたが、月が四月へ入って、ミシンの音が途絶えがちになってしまってからは、お島が取かかった自分の仕事の興味が、段々裏切られて来た。職人の手間を差引くと、幾許《いくら》も残らないような苦しい三十日《みそか》が、二月《ふたつき》
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