連れて行こうという見脈《けんまく》だで……」
「ふむ」と、お島は蒼くなって、ぶるぶるするような声を出した。
「御父さんにここで逢うのは厭だな」お島は手を堅く組んで首を傾《かし》げていた。「どうかして逢わないで還す工夫はないでしょうか」
「でも、ここに居ることを打明けてしまったからね」
「ふむ……拙《まず》かったね」
「とにかく些《ちょっ》と逢った方がいいぜ。その上で、また善く相談してみたらどうだ」
「ふむ――」と、お島はやっぱり凄《すご》い顔をして、考えこんでいた。「東京を出るとき、私は一生親の家の厄介にはなりませんと、立派に言断《いいき》って来ましたからね。今逢うのは実に辛《つら》い!」
お島の目には、ほろほろ涙が流れだして来た。
「為方がない、思断《おもいき》って逢いましょう」暫くしてからお島は言出した。「逢ったらどうにかなるでしょう」
二人は藤棚の蔭を離れて、畔道《あぜみち》へ出て来た。
五十八
父親は奥へも通らず、大きい柱時計や体量器の据えつけてある上り口のところに、行儀よく居住《いずま》って、お島の小さい時分から覚えている持古しの火の用心で莨《たばこ》をふかしていたが、お島や浜屋にしつこく言われて、漸《やっ》と勝手元近い下座敷の一つへ通った。
「よくいらっしゃいましたね」お島は父親の顔を見た時から、胸が一杯になって来たが、空々しいような辞《ことば》をかけて、茶をいれたり菓子を持って来たりして、何か言出しそうにしている父親の傍に、じっと坐ってなぞいなかった。
「私のことなら、そんな心配なんかして、わざわざ来て下さらなくとも可《よ》かったのに。でも折角来た序《ついで》ですから、お湯にでも入って、ゆっくり遊んで行ったら可《い》いでしょう」
「なにそうもしていられねえ。日帰りで帰るつもりでやって来たんだから」父親も落着のない顔をして、腰にさした莨入をまた取出した。
「お前の体が、たといどういうことになっていようとも、恁《こ》うやって己《おれ》が来た以上は、引張って行かなくちゃならない」
「どういう風にもなってやしませんよ」と、お島は笑っていたが、父親の口吻《くちぶり》によると、彼はお島の最初の手紙によって、てっきり兄のために体を売られて、ここに沈んでいるものと思っていた。そして東京では母親も姉も、それを信じているらしかった。
それで父親は、今
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