の白壁や屋《や》の棟《むね》が目についた。勾配《こうばい》の急な町には疾《はや》い小川の流れなどが音を立てて、石高な狭い道の両側に、幾十かの人家が窮屈そうに軒を並べ合っていた。
 お島の行ったところは、そこに十四五軒もある温泉宿のなかでも、古い方の家であったが、崖造《がけづくり》の新しい二階などが、蚕の揚り時などに遊びに来る、居周《いまわり》の人達を迎えるために、地下室の形を備えている味噌蔵の上に建出されてあったりした。庭にはもう苧環《おだまき》が葉を繁《しげ》らせ、夏雪草が日に熔《と》けそうな淡紅色の花をつけていた。
 雪の深い冬の間、閉《たて》きってあったような、その新建《しんだち》の二階の板戸を開けると、直ぐ目の前にみえる山の傾斜面に拓《ひら》いた畑には、麦が青々と伸びて、蔵の瓦屋根《かわらやね》のうえに、小禽《ことり》が怡《うれ》しげな声をたてて啼《な》いていた。山国の深さを思わせるような朝雲が、見あげる山の松の梢《こずえ》ごしに奇《く》しく眺められた。
 繭時《まゆどき》にはまだ少し間のあるこの温泉場には、近郷の百姓や附近の町の人の姿が偶《たま》に見られるきりであった。お島はその間を、ここでも針仕事などに坐らせられたが、どうかすると若い美術学生などの、函《はこ》をさげて飛込んで来るのに出逢った。
「こんな山奥へいらして、何をなさいますの」
 お島は絶えて聞くことの出来なかった、東京弁の懐かしさに惹着《ひきつ》けられて、つい話に※[#「※」は、「日」の下に、「咎」の「人」を「卜」に替えたものを置いた形、第3水準1−85−32に包摂、105−2]《とき》を移したりした。
 山越えに、××国の方へ渉《わた》ろうとしている学生は、紫だった朝雲が、まだ山《やま》の端《は》に消えうせぬ間《ま》を、軽々しい打扮《いでたち》をして、拵えてもらった皮包の弁当をポケットへ入れて、ふらりと立っていった。
「何て気楽な書生さんでしょう。男はいいね」
 お島は可羨《うらやま》しそうにその後姿を見送りながら、主婦《かみさん》に言った。
 三十代の夫婦の外に、七つになる女の貰い子があるきり、老人気《としよりけ》のないこの家では、お島は比較的気が暢《のん》びりしていた。始終蒼い顔ばかりしている病身な主婦は、暖かそうな日には、明い裏二階の部屋へ来て、希《まれ》には針仕事などを取出しているこ
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