ことり》の声が、時々聞えていた。
 市《まち》から引れてある電燈の光が、薄明く家のなかを照す頃になると、町はもう何処《どこ》も彼処《かしこ》も戸が閉されて、裏へ出てみると、一面に雪の降積った田畠や林や人家のあいだから、ごとんごとんと響く、水車の音が単調に聞えて、涙含《なみだぐ》まるるような物悲しさが、快活に働いたり、笑ったりして見せているお島の心の底に、しみじみ湧《わき》あがって来た。
 その頃になると、いつも炉端《ろばた》に姿をみせる精米所の主人が、もうやって来て大きな体を湯に浸っていた。そしてお島たちが湯に入る時分には、晩酌の好い機嫌で、懸離れた奥座敷に延べられた臥床《ふしど》につくのであったが、花がはじまると、ぴちんぴちんと云う札の響が、衆《みんな》の寝静った静な屋内《やうち》に、いつまでも聞えていた。二三人の町の人が、そこに集っていた。
 酒ものまず、花にも興味をもたない若主人と、お島は時々二人きりで炉端に坐っていた。病気が癒《なお》るとも癒らぬともきまらずに、長いあいだ生家《さと》へ帰っている若い妻の身のうえを、独《ひとり》で案じわずろうているこの主人の寝起《ねおき》の世話を、お島はこの頃自分ですることにしていた。

     五十四

 新座敷の方の庭から、丁字形に入込んでいる中庭に臨んだ主人の寝室《ねま》を、お島はある朝、毎朝《いつも》するように掃除していた。障子|襖《ふすま》の燻《くす》ぼれたその部屋には、持主のいない真新しい箪笥が二棹《ふたさお》も駢《なら》んでいて、嫁の着物がそっくり中に仕舞われたきり、錠がおろされてあった。お島は苦しい夢を見ているような心持で、そこを掃出していたが、不安と悔恨とが、また新しく胸に沁出《しみだ》していた。
 お島は人に口を利《き》くのも、顔を見られるのも厭になったような自分の心の怯《おび》えを紛らせるために、一層|精悍《かいがい》しい様子をして立働いていた。そして客の膳立《ぜんだて》などをする場所に当ててある薄暗い部屋で、妹達と一緒に朝飯をすますと、自分独りの思いに耽るために、急いで湯殿へ入っていった。窓に色硝子《いろガラス》などをはめた湯殿には、板壁にかかった姿見が、うっすり昨夜《ゆうべ》の湯気に曇っていた。お島はその前に立って、いびつなりに映る自分の顔に眺入《ながめい》っていた。親達や兄や多くの知った人達と離れ
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