は、おかなは兄の思っているほど気楽な身分でもなかった。おかなの話によると、鉱敷課《こうしきか》とやらの方に勤めて、鉱夫達と一緒に穴へ入るのが職務であるその旦那から、月々|配《あてが》われる生活費と小遣とは、幾許《いくら》でもなかった。もと居た市《まち》の方では、誰も知らないもののない壮太郎との情交《なか》が、鉱山《やま》の人達の口から、薄々旦那の耳へも伝わってから、金の受渡しが一層やかましくなって、おかなはその事でどうかすると旦那と豪《えら》い喧嘩を始めることすらあった。夏の頃から、山間の湯に行ってみたり、市《まち》の方の医者へ通っていたりしていたおかなの体は、涼気《すずけ》が経つに従って、いくらか肉づいて来たようであったが、やっぱり色沢《いろつや》が出て来なかった。それに何方《どちら》を向いても、山ばかりのこの寂しい町で、雪の深い長い一冬を越すことは、今まで賑《にぎや》かな市《まち》にいたおかなに取っては、穴へ入るほど心細い仕事であった。どこか暖い方へ出て、もとの商売をしよう! おかなは時々その相談を、壮太郎にも為てみるのであった。
旦那から少《すこし》ばかりの手切をもらって、おかなが知合をたよって、着のみ着のままで千葉の方へ落ちて行くことになった頃には、壮太郎もすっかり零落《おちぶ》れはてていた。月はもう十二月であった。山はどこを見ても真白で、町には毎日々々じめじめした霙《みぞれ》が降ったり、雪が積ったりしていた。
東京の自宅《うち》の方へ、時々無心の手紙などを書いていた壮太郎が、何の手応《てごたえ》もないのに気を腐らして、女から送って来た金を旅費にして、これもこの町を立って行ったのは、十二月の月ももう半過《なかばすぎ》であった。旅客の姿の幾《ほと》んど全く絶えてしまった停車場へ、独《ひとり》遺《のこ》されることになったお島は、兄を送っていった。精米所の主人や、浜屋の内儀《かみ》さんなどに、家賃や、時々の小遣などの借のたまっていた壮太郎のために、双方の談合《はなしあい》で、その質《かた》に、お島の体があずけられる事になったのであった。
寒い冬空を、防寒具の用意すらなかった兄の壮太郎は、古い蝙蝠傘《こうもりがさ》を一本もって、宛然《さながら》兇状持《きょうじょうもち》か何ぞのような身すぼらしい風をして、そこから汽車に乗っていった。鳥打の廂《ひさし》から、落窪
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