、種子《たね》が思ったほどに捌《さば》けぬばかりでなく、花圃《はなばたけ》に蒔《ま》かれたものも発芽や発育が充分でなかった。壮太郎はそれに気を腐らして、この一冬をどうしてお島と二人で、この町に立籠《たてこも》ろうかと思いわずろうた。
 山にはもう雪が来ていた。鉱山の方へ搬ばれてゆく、味噌《みそ》や醤油《しょうゆ》などを荷造した荷馬が、町に幾頭となく立駢《たちなら》んで、時雨《しぐれ》のふる中を、尾をたれて白い息を吹いているような朝が幾日となく続いた。小春日和《こはるびより》の日などには、お島がよく出て見た松並木の往還にある木挽小舎《こびきごや》の男達の姿も、いつか見えなくなって、そこから小川を一つ隔てた田圃《たんぼ》なかにある遊廓《ゆうかく》の白いペンキ塗の二階や三階の建物を取捲いていた林の木葉《このは》も、すっかり落尽くしてしまった。
 それでも浜屋の奥座敷だけには、裏町にある芸者屋から、時々|裾《すそ》をからげて出てゆく箱屋や芸者の姿が見られて、どこからともなく飲みに来る客が絶えなかった。お島は町を通るごとに目についていた、通りの飲食店や、町がさびれてから、どこも達磨《だるま》をおくようになったと云う旅籠屋などに、働きに入ろうかとさえ思ってみることもあったが、それらのお客が皆《みん》な近在の百姓や、繭買《まゆかい》などの小商人《こあきゅうど》であることを想ってみるだけでも、身顫《みぶるい》が出るほど厭であった。
 裸になって市《まち》から帰って来ると、兄はよくお島のものを持出して、顔を知っている質屋の門などを潜《くぐ》ったが、それも種子《たね》が尽きて来ると、矢張女のところへ強請《せび》りに行くより外なかった。
 その使に、お島も時々遣られた。峠の幾箇《いくつ》もある寂しい山道を、お島は独りでてくてく歩いて行った。どこへ行っても人家があった。休み茶屋や居酒屋もあった。女の囲われている町では、馬蹄《ばてい》や農具を拵《こしら》えている鍛冶屋《かじや》が殊《こと》に多かった。
「おかなさんが、こんな処によくいられたもんだ」お島は不思議に思ったが、それでも女のいるところは、小瀟洒《こざっぱり》した格子造の家であった。家のなかには、東京風の箪笥《たんす》や長火鉢もきちんとしていた。

     五十二

 けれど、そうしてちょいちょい往ってみる、お島の目に映ったところで
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