いた。土地びいきの多い人達のなかでは、勝手が違って勤めにくかったが、鉱山《やま》から来る連中には可也に持囃《もてはや》された。
 おかなは朝来ると、晩方には大抵帰って行ったが、旦那が東京へ用達《ようたし》などに出るおりには、二晩も三晩も帰らないことがあった。二里ほど奥にある、山間の温泉場へ、呼出をかけられて、壮太郎が出向いて行くこともあった。
 おかなは素人《しろうと》くさい風をして、山焦《やまやけ》のした顔に白粉も塗らず、ぼくぼくした下駄をはいて遣って来たが、お島には土地の名物だといって固い羊羹《ようかん》などを持って来た。
 女のいる間、お島は家を出て、精米所へ行ったり、浜屋で遊んでいたりした。
 精米所では、東京風の品《ひん》のいい上《かみ》さんが、家に引込《ひっこみ》きりで、浜屋の後家《ごけ》に産れた主人の男の子と、自分に産れた二人の女の子供の世話をしていた。
「浜屋のおばさんの処《とこ》へいきましょうね」
 お島は近所の子供たちと、例の公園に遊んでいるその男の子の、綺麗な顔を眺めながら言ってみた。
「あ」と、子供は頷《うなず》いた。
「阿母《おっか》さんとおばさんと、孰《どっち》が好き?」お島は言ってみたが、子供には何の感じもないらしかった。
 お島はベンチに腰かけて、慵《だる》い時のたつのを待っていた。庭の運動場の周《まわり》に植《うわ》った桜の葉が、もう大半|黄《きば》み枯れて、秋らしい雲が遠くの空に動いていた。お島は時々|炉端《ろばた》で差向いになることのある、浜屋の若い主人のことなどを思っていた。T――市から来ていた、その主人の嫁が、肺病のために長いあいだ生家《さと》へ帰されていた。

     五十一

 お島が楽《たのし》みにして世話をしていた植木畠や花圃《はなばた》の床に、霜が段々|滋《しげ》くなって、吹曝《ふきさら》しの一軒家の軒や羽目板に、或時は寒い山颪《やまおろし》が、凄《すさま》じく木葉を吹きつける冬が町を見舞う頃になると、商売の方がすっかり閑《ひま》になって来た壮太郎は、また市《まち》の方へ出て行って、遊人仲間の群へ入って、勝負事に頭を浸している日が多かった。
 持って行った植木の或者は、土が適《ふさ》わぬところから、お島が如何《いか》に丹精しても、買手のつかぬうちに、立枯になるようなものが多かったが、草花の方も美事に見込がはずれて
前へ 次へ
全143ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング