《さしず》をしたりしていた。町の旅籠《はたご》や料理屋へ肴《さかな》を仕送っている魚河岸《うおがし》の問屋の旦那が、仕切を取りに、東京からやって来て、二日も三日も、新建《しんだち》の奥座敷に飲つづけていた。
 精米所の主人が建ててくれたと云う、その新座敷へ、お島も時々入って見た。糸柾《いとまさ》の檜《ひのき》の柱や、欄間《らんま》の彫刻や、極彩色の模様画のある大きな杉戸や、黒柿の床框《とこがまち》などの出来ばえを、上さんは自慢そうに、お島に話して聞せた。
 河岸の旦那の芸づくしをやっているその部屋を、お島も物珍しそうに覗《のぞ》いてみた。それでも安お召などを引張った芸者や、古着か何かの友禅縮緬《ゆうぜんちりめん》の衣裳《いしょう》を来て、斑《まだ》らに白粉《おしろい》をぬった半玉《はんぎょく》などが、引断《ひっきり》なしに、部屋を出たり入ったりした。鼓や太鼓の音がのべつ陽気に聞えた。笛の巧いという、盲の男の師匠が、芸者に手をひかれて、廊下づたいに連れられて行った。
 そこへ精米所の主人がやって来て、炉縁《ろばた》に胡坐《あぐら》をかくと、そこにごろりと寝転んでいたお爺さんは直《じき》に奥へ引込んで行った。精米所の主人の前には、直に銚子《ちょうし》がつけられて、上さんがお酌をしはじめた。
「あれを知らねえのかい。お前も余程《よっぽど》間ぬけだな」
 兄はその主人と上さんとの間《なか》を、お島に言って聞せた。
「あの家も、精米所のお蔭で持っているのさ。だから爺さんも目をつぶって、見ているんだ」
 兄はそうも言った。

     五十

 旦那を鉱山《やま》へ還してから、女が一里半程の道を俥《くるま》に乗って、壮太郎のところへ遣《や》って来るのは、大抵月曜日の午前であった。
 家が近所にあったところから、幼《ちいさ》いおりの馴染《なじみ》であった、おかなと云うその女が、まだ東京で商売に出ている時分、兄は女の名前を腕に鏤《えり》つけなどして、嬉しがっていた。そして女の跡を追うて、此処《ここ》へ来た頃には、上《かみ》さんまで実家《さと》へ返して、父親からは準禁治産の形ですっかり見限《みきり》をつけられていた。
 日本橋辺にいたことのあるおかなは、痩《やせ》ぎすな躯《がら》の小《ちいさ》い女であったが、東京では立行かなくなって、T――町へ来てからは、体も芸も一層|荒《すさ》んで
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