はい》に、雨のなかを再び停車場へ出かけていってから、お島は晩の食事の支度に台所へ出たが、女がおりおり来ると見えて、暫《しばら》く女中のいない男世帯としては、戸棚《とだな》や流元《ながしもと》が綺麗《きれい》に取片着いていた。
 壮太郎は、夜までかかって、車で二度に搬《はこ》び込まれた植木類を、すっかり庭の方へ始末をしてから、お島にはどこへ往くとも告げずに、またふいと羽織や帽子を被《き》て出て往ったが、お島はその晩裏から入って来た壮太郎が、何時頃帰ったかを知らないくらい疲れて熟睡した。
 明朝《あした》目のさめたとき、水車の音が先ずお島の耳に着いた。お島はその音を聞きながら、寝床のなかにうとうとしていたが、今日から全く知らない土地に暮すのだと思うと、今まで憎み怨《うら》んでいた東京の人達さえ懐《なつか》しく思われた。
 ここから二停車場《ふたていしゃば》ほど先にある、或大きな市《まち》へ流れて来て、そこで商売をしていた兄の女が、その頃二三里の山奥にある或鉱山の方に係《かか》っている男に落籍《ひか》されて、市とS――町との間にある鉱山《やま》つづきの小さい町に、囲われていたことは、お島も東京を立つ前から聴《きか》されていた。女がまだ商売をしている頃から、兄はその市《まち》へ来て、何も為《す》ることなしに、宿屋にごろついていたり、居周の温泉場に遊んでいたりしているうちに、土地の遊人仲間にも顔を知られて、おりおり勝負事などに手を出していた。女が今の男に落籍《ひか》されてから、彼は少《すこし》ばかりの資本《もとで》をもらって、※[#「※」は「夕」の下に「寅」、第4水準2−5−29、91−5]縁《つて》のあったこのS――町へ来て、植木に身を入れることになったのであった。
 昼頃に雨があがってから、お島は壮太郎に連れられて、つい二三町ほど隔っている大家の家へ遊びに往った。そこはこの町の唯一の精米所でもあり、金持でもあった。大きな門を入ると、水車仕掛の大きな精米所が、直にお島の目についた。話声が聴取れないほど、轟々《ごうごう》いう音がそこから起っていた。[#底本では「。」無し、91−10]
「この米が皆《みん》な鉱山《やま》へ入るんだぜ」
 壮太郎は、お島をその入口まで連れていって、言って聴せた。白くなって働いている男達と、壮太郎は暫く無駄話をしていた。
 主人は硝子戸《ガラスど》
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