かけない山麓《さんろく》の傾斜面に痩《や》せた田畑があったり、厚い薮畳《やぶだたみ》の蔭に、人家があったりした。
その町へ着くまでに、汽車は寂しい停車場に、三度も四度も駐《とどま》った。東京の居周《いまわり》に見なれている町よりも美しい町が、自然の威圧に怯《お》じ疲れて、口も利《き》けないようなお島の目に異様に映った。
「へえ、こんな処にもこんな人がいるのかね」お島は不思議そうに、そこに見えている人達の姿を凝視《みつ》めた。
S――と云うその町へ入った時にも、小雨がしとしとと降そそいでいた。停車場を出て橋を一つ渡ると、直ぐそこに町端《まちはな》らしい休茶屋や、運送屋の軒に続いて燻《くすぶ》りきった旅籠屋《はたごや》が、二三軒目についた。石楠花《しゃくなげ》や岩松などの植木を出してある店屋《みせや》もあった。壮太郎とお島とは、そこを俥《くるま》で通って行った。
町はどこも彼処《かしこ》も、闃寂《ひっそり》していた。
俥は直《じき》に大通の真中へ出ていった。そこに石造の門口を閉《とざ》した旅館があったり、大きな用水桶《ようすいおけ》をひかえた銀行や、半鐘を備えつけた警察署があったりした。
壮太郎の家は、閑静なその裏通にあった。町屋風の格子戸や、土塀《どべい》に囲われた門構の家などが、幾軒か立続《たてつづ》いたはずれに、低い垣根に仕切られた広々した庭が、先ずお島の目を惹《ひ》いた。木組などの繊細《かぼそ》いその家は、まだ木香《きが》のとれないくらいの新建《しんだち》であった。
留守を頼んで行った大家《おおや》の若い衆《しゅ》と、そこの子供とが、広い家のなかを、我もの顔にごろごろしていた。
「へえ、こんな処でも商売が利くんですかね」
部屋に落着いたお島は、縁端《えんばな》へ出て、庭を眺めながら呟いた。
「この町は先ずこれだけのものだけれど、居周《いまわり》には、またそれぞれ大きな家があるからね」壮太郎は、茶盆や湯沸をそこへ持出して来ると、羽織をぬいで胡坐《あぐら》を掻《か》きながら呟《つぶや》いた。
秋雨のような雨がまだじとじと降っていた。水分の多い冷《つめた》い風が、遠く山国に来ていることを思わせた。ごとんごとんと云う慵《だる》い水車の音が、どこからか、物悲しげに聞えていた。
四十八
そこにお島を落着かせてから、壮太郎が荷物運搬の采配《さい
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