、頭から脅《おどか》しつけられて、一層|突《つき》つめた気分で家を出た。鶴さんに着物を融通したり何かしたと云うことが、植源へ片着かない前からの浮気っぽいおゆうを知っている父親には、赦《ゆる》すことのできぬ悪事としか思えなかった。
おゆうが帰って来たとき、お島は自分の寝床へ帰って、表《おもて》の様子に気を配りながら、まんじりともせず疲れた体を横《よこた》えていた。
帰って来たおゆうが、一つは姑《しゅうとめ》や父親への面当《つらあて》に、一つは房吉に拗《す》ねるために、いきなり剃刀《かみそり》で髪を切って、庭の井戸へ身を投げようとしたのは、その晩の夜中過であった。おゆうは、うとうと床《とこ》のなかに坐っている房吉には声もかけず、いきなり鏡台の前に立って、隠居の手から取離されたまま、そこに置かれた剃刀を見つけると、いきなり振釈《ふりほど》いた髪を、一握ほど根元から切ってしまった。
「可悔《くやし》い可悔い」跣足で飛出して来たお島に遮《ささ》えられながら、おゆうは暴《あば》れ悶※[#「※」は「足+宛」、第3水準1−92−36、86−14]《もが》いて叫んだ。
漸《やっ》とのことで、房吉と一緒におゆうを座敷へ連込んで来たお島の目には、髪を振乱したまま、そこに泣沈んでいるおゆうが、可憐《いじら》しくも妬《ねた》ましくも思えた。
「みんな鶴さんへの心中立だ」お島は心に呟《つぶや》きながら、低声《こごえ》でおゆうを宥《なだ》めさすっている房吉と、それを耳にもかけず泣沈んでいるおゆうの美しい姿とを見比べた。
四十六
情婦《おんな》の流れて行っている、或山国の町の一つで、暫《しばら》く漂浪の生活を続けている兄の壮太郎《そうたろう》が、其処《そこ》で商売に着手していた品物の仕入かたがた、仕事の手助《てだすけ》にお島をつれに来たのはその夏の末であった。
「阿母さんは、一体いつまで私を彼処《あすこ》で働かしておくつもりだろう」
植源の忙しい働き仕事や、絶え間のないそこの家《うち》のなかの紛紜《いざこざ》に飽はてて来たお島は、息をぬきに家へやって来ると父親に零《こぼ》した。
長いあいだ家へ寄つきもしない壮太郎の代りに、家に居坐らせるため、植源を出て来て、父の手助に働かせられていたお島は、兄に説《とき》つけられて、その時ふいと旅に出る気になったのであった。
「誰が来たっ
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