いいでしょう」お島は外方《そっぽう》を向きながら鼻で笑った。
「お前がそんな二本棒だから、おゆうが好きな真似《まね》をするんだ。お前が承知しても、この私が承知できない。さあ今夜という今夜は、立派におゆうの処分をしてみせろ。それが出来ないような意気地なしなら、首でも縊《くく》って一思《ひとおも》いに死んでしまえ」
それよりも、部屋で泣伏しているおゆうの可憐《いじら》しい姿に、心の惹《ひ》かるる房吉は、やがてその傍《そば》へ寄って、優しい辞《ことば》をかけてやりたかった。妊娠《みもち》だと云うことが、一層男の愛憐《あいれん》を唆《そそ》った。
お島にささえられないほどの力を出して、隠居が剃刀《かみそり》を揮《ふり》まわして、二人のなかへ割って入ったとき、おゆうは寝衣《ねまき》のまま、跣足《はだし》で縁から外へ飛出していった。
四十五
二時過まで、植源の人達は騒いでいた。
お鈴と二人で漸《やっ》と宥《なだ》めて、房吉から引離して、蚊帳《かや》のなかへ納められた隠居が鎮《しずま》ってからも、お島はじっとしてもいられなかった。
「どうしましょうね。大丈夫でしょうか」お島は庭の方を捜してから、これも矢張《やっぱり》そこいらを捜しあぐねて、蚊帳の外に茫然《ぼんやり》坐っている房吉の傍へ帰って来て言った。
房吉は蒼白《あおざ》めた顔をして、涙含《なみだぐ》んでいた。
「大丈夫とは思うけれど、偶然《ひょっ》とするとおゆうは帰って来ないかも知れないね。不断から善く死ぬ死ぬと言っていたから」
「そうですか」お島は仰山らしく顫《ふる》え声で言った。
「それじゃ私少し捜して来ましょう」
お島が近所の知った家を二三軒|訊《き》いて歩いたり、姉の家へ行ってみたり、途中で鶴さんや大秀へ電話をかけたりしてから、漸《ようよ》う帰って来たのは、もう大分夜が更《ふ》けてからであった。
「安心していらっしゃい」お島は房吉の部屋へ入ると、せいせい息をはずませながら言った。「おゆうさんは大丈夫大秀さんにいるんですよ」
お島が、大秀へ電話をかけたとき、出て来て応答《うけこたえ》をしたのは、おゆうには継母にあたる大秀の若い内儀《かみ》さんであった。
おゆうが俥《くるま》で飛込んでいった時、生家《さと》ではもう臥床《ねどこ》に入っていたが、おゆうはいきなり昔し堅気の頑固《がんこ》な父親に
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