いたし、房吉の姉のお鈴は、小さい方の子供に、乳房を啣《ふく》ませながら、茶《ちゃ》の室《ま》の方で、手枕をしながら、乱次《だらし》なく眠っていた。家のなかは、どこも彼処《かしこ》も長い日の暑熱に倦《う》み疲れたような懈《だる》さに浸っていた。
大輪の向日葵《ひまわり》の、萎《しお》れきって項《うな》だれた花畑尻《はなばじり》の垣根ぎわに、ひらひらする黒い蝶《ちょう》の影などが見えて、四下《あたり》は汚点《しみ》のあるような日光が、強く漲《みなぎ》っていた。
姉はおゆうと、五六分ばかり縁側で話をしていたが、やがて子供をそこへ卸《おろ》して、袂《たもと》で汗をふいていた。おゆうはまだ水気の取りきれぬ髪の端《はじ》に、紙片《かみきれ》を捲《まき》つけて、それを垂らしたまま、あたふた家を出ていった。
「きっと鶴さんが来ているんだ」
お島はそう思うと、急に張物が手に着かなくなって、胸がいらいらして来た。
「姉さんも随分な人だよ」
お島はいきなり姉の側へ寄っていった。
「どうしてさ」姉は這《は》っている子供に、乳房を出して見せながら、汗ばんだ顔を赧《あから》めた。
「解ってますよ」
「可笑《おかし》な人だね。解っていたら可《い》いじゃないの」
「そんな事をしても可いんですか」
「いいも悪いもないじゃないか。感違いをしちゃ困りますよ」
二三度口留をしてから、姉の話すところによると、金の工面に行詰った鶴さんが、隠居や房吉に内密《ないしょ》で、おゆうから少《すこし》ばかり融通をしてもらうために、私《そっ》と姉の家へやって来たのだと云うのであった。鶴さんが、そんなに困っているとは、お島には信ぜられないくらいであったが、姉の真顔で、それは事実であるらしく思えた。
「ふむ」お島は首を傾《かし》げて、「じゃもう、あの店も駄目だね」
「そうなんでしょう。事によったら、田舎へ行《い》くて言ってるわ」
「芸者を引張込むようじゃ、長続きはしないね。散々《さんざ》好きなことをして、店を仕舞うがいいや」
お島は自暴《やけ》に言いすてて、仕事の方へ帰って来たが、目が涙に曇っていた。せかせか出て行った今のおゆうの姿や、おゆうを待受けている鶴さんの、この頃の生活に荒《すさ》みきった神経質な顔などが、目について来た。
暫く経って、帰って来たおゆうの顔には、鶴さんのためなら、何でも為かねないような浮
前へ
次へ
全143ページ中57ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング