ぼんやりお島の働きぶりを眺めていた。
「能《よ》くそんなに体が動いたもんだわね」
姉は感心したように言《ことば》をかけた。お島は襷《たすき》がけの素跣足《すはだし》で、手水鉢《ちょうずばち》の水を取かえながら、鉢前の小石を一つ一つ綺麗《きれい》に洗っていた。夏中縁先に張出されてあった葭簀《よしず》の日覆《ひおい》を洩《も》れて、まだ暑苦しいような日の差込む時が、二三日も続いた。
「ええ、子供の時分から慣れっこになっていますから」お島は笑いながら応《こた》えた。
「子供を産んだ人とは思われないくらいですよ」
「だって漸《ようよ》う七月《ななつき》ですもの。私顔も見ませんでしたよ。淡白《さっぱり》したもんです」
「それにしたって、旦那のことは忘れられないでしょう」
「そうですね。がさがさしてる癖に、余《あんま》り好い気持はしませんね」
「矢張《やっぱり》惚《ほ》れていたんだわね」
「そうかも知れませんよ」お島は顔を赧《あから》めて、
「私が暴れて打壊《ぶちこわ》したようなもんですの。あの人はまたどうして、あんなに気が多いでしょう。些《ちょ》いと何かいわれると、もう好い気になって一人で騒いでいるんですもの。その癖|嫉妬《やきもち》やきなんですがね」
「でも能く思切って了《しま》ったわね」
「芸者や女郎じゃあるまいし、いつまで、くよくよしていたって為方がないですもの。私はあんなへなへなした男は大嫌いですよ」
「それもそうね。――私も思切って、どこか働きに行きましょうかしら」
「御|笑談《じょうだん》でしょう。そんな可愛い坊ちゃんをおいて、何処へ行けるもんですか」
四十二
夜になると、お島はまた隠居の足腰をさすって、寝かしつけてやるのが、毎日の日課であったが、時とすると子息《むすこ》夫婦に対する、病的な嫉妬から起るこの老婦《としより》の兇暴な挙動《ふるまい》をも宥《なだ》めてやらなければならなかった。
四十代時分には、時々若い遊人《あそびにん》などを近《ちかづ》けたと云う噂のある隠居は、おゆうが嫁に来るまでは、幼《ちいさ》い時から甘やかして育てて来た子息《むすこ》の房吉を、猫可愛《ねこかわゆ》がりに愛した。一度脳を患《わずら》ったりなどしてから、気に引立《ひったち》がなくなって、温順《おとな》しい一方なのが、彼女《かれ》には不憫《ふびん》でならなかった。房
前へ
次へ
全143ページ中55ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳田 秋声 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング