で、産児の寺へ送られていったのは、その晩方であったが、思いがけなく体の軽くなったお島の床についていたのは、幾日でもなかった。
 健康が回復して来ると同時に、母親と植源の隠居とのどうした談合《はなしあい》でか、当分植源にいっていることに決められたお島は、そこで台所に働いたり、冬物の針仕事に坐ったりしていた。ぐれ出した鶴さんは、口喧《くちやかま》しい隠居の頑張《がんば》っているこの閾《しきい》も高くなっていた。お島はおゆうの口から、下谷の女を家へ入れる入れぬで、苦労している彼の噂をおりおり聞されたりした。
「ああなってしまっちゃ、あの人ももう駄目よ」おゆうは鶴さんに愛相《あいそ》がつきたように言った。

     四十一

 一つは人に媚《こ》びるため、働かずにはいられないように癖つけられて来たお島は、一年|弱《たらず》の鶴さんとの夫婦暮しに嘗《な》めさせられた、甘いとも苦《にが》いとも解らないような苦しい生活の紛紜《いざこざ》から脱《のが》れて、何処《どこ》まで弾《はず》むか知れないような体を、ここでまた荒い仕事に働かせることのできるのが、寧《むし》ろその日その日の幸福であるらしく見えた。
 植源の庭には、大きな水甕《みずがめ》が三つもあった。お島は男の手の足りないおりおりには、その一つ一つに、水を盈々《なみなみ》汲込まなければならなかった。そしてそれを沢山の花圃《はなばたけ》や植木に漑《そそ》がなければならなかった。その頃かかっていた病身な出戻りの姉娘の連れていた二人の子供の世話も、朝晩に為なければならなかった。田舎で鉄道の方に勤めていた官吏の許《もと》へ片づいていたその姉は、以前この家に間借をしていたことのあるその良人が、田舎へ転任してから、七年目の今茲《ことし》の夏、遽《にわか》に病死してしまった。
 東北|訛《なまり》のその子供は、おゆうには二人とも嫌われたが、お島には能く懐《なつ》いた。お島は暇さえあると、髪を結ったり、リボンをかけてやったり、寝起《ねおき》や入浴や食事の世話に骨惜みをしなかった。
 嫁にやられるとき、拵えて行ったものなどを不残《そっくり》亡《な》くして、旅費と当分の小遣にも足りぬくらいの金を、少《すこし》ばかりの家財を売払って持って来た姉は、まだ乳離れのせぬ小《ちいさ》い方の男の子を膝《ひざ》にのせて、時々縁側の日南《ひなた》に坐りながら、
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