『よくいらっしゃいました、さあこちらヘ』と案内するのに『好みません』と云うので直にそこを去りました。宿屋も、車夫も驚いて居るのです。それはガヤガヤと騒がしい俗な宿屋で、私も厭だと思いましたが、ヘルンは地獄だと申すのです。嫌いとなると少しも我慢致しません。私は未だ年も若い頃ではあり、世馴れませんでしたから、この一国には毎度弱りましたが、これはへルンの極まじりけのないよいところであったと思います。
 その頃の事です、出雲の加賀浦の潜戸に参りました時です。潜戸は浦から一里余も離れた海上の巌窟でございます。ヘルンは大層泳ぎ好きでしたから、船の後になり先きになりして様々の方法で泳いで私に見せて大喜びでございました。洞穴に船が入りますと波の音が妙に巌に響きまして恐ろしいようです。岩の間からポタリポタリと滴が落ちます。船頭は石で舷をコンコンと叩くのです。これは船が来たと魔に知らせるためだと申します。その音がカンカンと響きまして、チャポンチャポンと何だか水に飛びこむ物があります。船頭は色々恐ろしいような、哀れなような、物凄いような話を致しました。へルンは先程着た服を又脱ぎ始めるのです。船頭は『旦那そり
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