や紙幣がこぼれ出て居るのです。ヘルンは性来、金には無頓着の方で、それはそれはおかしいようでした。勘定なども下手でした。そのような俗才は持ちませんでした。ただ子供ができたり、自分の体が弱くなった事に気がついたりしてから、遺族の事を心配し始めました。大社の宮司は西田さんの知人でありまして、ヘルンの日本好きの事を聞いていますから、大層優待して下さいました。盆踊が見たいと話しますと、季節よりも少し早かったのでしたが、態々《わざわざ》何百人と云う人を集めて踊りを始めて下さいました。その人々も皆大満足で盆踊をしてくれました。尤もこの踊りはあまり陽気で、盆踊ではない、豊年踊だとヘルンが申しました。この旅行の時、ヘルンが『君が代』を教わりまして、私共三人でよく歌いました。子供のように無邪気なところがありました。
二週間許りの後、松江に帰り盆踊の季節に近づいたので、ヘルンと私と二人で案内者も連れないで、伯耆の下市に盆踊を見に参りました。西田さんは京都へ旅を致されました。私共ただ二人で長旅を致したのはこれが始めてでした。下市へ参りまして昨年の丁度今頃赴任の時泊りました宿屋を尋ねて、踊りの事を聞きますと『
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