あの、今年は警察から、そんな事は止めよ、と云って差止められました』との事で、ヘルンは失望して、不興でした。『駄目の警察です、日本の古い、面白い習慣をこわします。皆耶蘇のためです。日本の物こわして西洋の物真似するばかりです』と云って大不平でした。
この時には、到る処盆踊をさがして歩きました。先きに申しました東郷の池のさわぎもこの時の事でした。漸く盆踊を見つけて参ります、と反対に西洋人が来たと云うので踊りそこのけにして、いたずらに砂をかける者がある。あとから謝罪に来ると云うような珍事もございました。出雲に帰りましたのは、八月の末で、京都から帰られた西田さんと三人で旅行の話を致しまして愉快でした。これは一月程の旅行でしたが、この外一日がけの旅はよく致しました。
出雲は面白くてへルンの気に入ったのですが、西印度のような熱いところに慣れたあとですから、出雲の冬の寒さには随分困りました。その頃の松江には、未だストーヴと申す物がありませんでした。学校では冬になりましても、大きい火鉢が一つ教場に出るだけでした。寒がりのヘルンは西田さんに授業中、寒さに困る事を話しますと、それならば外套を着たままで、
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