わ》んや物質が全部であつて精神文化は閑却してもよい等とは主張しないのである。
 ところが文學者、藝術家はこの點に於て美妙な、誘惑的な曲解を行い、唯物史觀は精神文化を破壞するものだという。それは中世紀の坊主が地動説は神に對する冒涜であると批難し、近世の宗教家が進化論は聖書に悖《もと》ると批難したのと同斷である。進化論によつて人間の祖先が動物であるということが證明されたら人間の戀愛も道徳も審美感も成立しないだろうか? 吾々は大抵原始時代の人間と動物との距離がごく近いことを知つている。併しながら戀愛もすれば、審美感も動く。
 それと同じく人間の歴史が物質的條件によつて決定されるという事實があつても精神文化は依然として吾々の最も尊重しなければならぬものなのだ。唯物史觀を信ずる人は精神文化を閑却するどころか却つてこれを尊重する。だから資本主義によりて樹立された今日の文化の代りにもつと上等な文化を實現しようとする。その爲めにその支柱となつている物質條件を變えようとするのである。ところが「現代文化」の支持者達は資本主義文化を、物質的條件には無關係な永遠の文化だと思つてこれに反對するのだ。唯物史觀は文
前へ 次へ
全12ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング