すし、ことによると、裁判長も検事の言葉を信ずるだろうと思われるのです。何しろ妙な工合になっているものですからねえ。」
予審判事は、じろりと氷のような視線を老教授に送った。老教授の半白の顎髭《あごひげ》が細かくふるえているのは、五尺もはなれている判事の眼にもはっきりわかった。
「その曖昧な点というのはどういう点ですか?」
「実に妙な話でしてね」と篠崎判事は二本目の敷島に火をつけてから語り出した。口元には、やはり、何とも意味のわかりかねる微笑が消えたり浮んだりしている。彼は話の要所要所に力点をつけて、そのたびに、例の裁判官に特有の、相手の心胆をこおらせるような視線を、聴き手の顔へ投げるのであった。老教授は、船暈《ふなよ》いをした人が、下腹部《したばら》に力を入れて、一生懸命に抵抗しようとすればする程、暈《よ》いが募《つの》って来る時のように、心の平静を失うまいとして、とりわけ、気の弱い彼の持病である脳貧血にかかって倒れるような失態を演じまいとして、肩を張らし、固唾《かたず》を呑み、両手の指をにぎりしめてきいているのであったが、予審判事の剃刀《かみそり》のような視線に触れると、こういう姿勢
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