で、玄関から座敷へ上げるのに余程骨が折れました。それに石のように冷たくなっていたので、気味のわるいことったらありませんでした。お察しのとおり、死体をひきずってゆく時、畳の上へ血のあとがついたものですから、家へひきかえして雑巾をとって来て、すっかり血をふきとったつもりだったのですが、臨検の警官に発見されたのは天罰です。血のあとをふきとっても、まだ安心ができませんので、それから、わたしは、近所の金物屋から小刀《ナイフ》を一挺買って来て、それを死体の背中へ突きさして他殺と見せかけようと思ったのです。その時ばかりは、さすがのわたしも、手がふるえて、あとから考えると、よく、うまい工合に小刀が突きさせたものだと不思議に思っているくらいです。玄関で殺した死体が、台所へいっているわけはそのためです。せがれは、わたしが玄関で、過失であの女を殺すところまで見ていて、わたしの身代りになってくれたものに相違ありません。ですからその後のことは何も知らないのです。私の申し上げたことをお疑いになるのなら、わたしの家の裏庭の無花果《いちじゅく》の根元を掘ってごらんなさい。血をふいた雑巾が埋めてあるはずです。それから、金物屋を呼んで来て下さい。浅羽屋という家です。きっとあの小刀をあの晩わたしに売ったことをまだおぼえているでしょう。もうこの他に申し上げることはありません。どうぞすぐにせがれを放免してわたしを縛って下さい!」
「もう金物屋を呼ぶ必要はありません。その金物屋は、たしかにあなたにあの晩あの小刀を売ったと言っておるのです。今にここへ来るはずです。さっき玄関でベルが鳴ったでしょう。あの時刑事が金物屋の報告を伝えて来たのです。その時、ことによると、あなたが自白されない場合にはやむを得んから顔をつきあわせるつもりで、呼びにやったのです。」
何もかも観念した人間には、苦しみもなければ悩みもない。原田教授は落ちついて言った。
「こうわかった以上は、さっそくせがれは放免して下さるでしょうな?」
「御子息はもうすでに予審免訴ということに決まっておるのです。林が免訴になったと言ったのは、実はうそ[#「うそ」に傍点]で、免訴になったのは御子息のことなのです。」
教授の顔には心からの安心の色が浮んだ。判事は更におだやかに言葉をつづけた。
「ついでにすっかり白状して下さらんですか? 何もかも。」
教授はぎくり
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