。少くも、老教授にはそうとよりとれなかった。
瀕死《ひんし》の病人は、死期が迫るにつれて、恢復の見込みを医師に頻繁《ひんぱん》にたずねるものである。そういう場合に老練な医師は患者を絶望させるようなことは決していわないものである。ところが、篠崎判事は、病人が息をひきとるまで、病人に恐怖を与えつづける無慈悲な医者と同じようであった。
「せがれは無罪にはならんでしょうか?」
蚊のような細い教授の声に対して判事は答えた。
「無罪どころではありません。過失罪として情状を酌量されるかどうかも、今となっては疑問で、ことによると謀殺と認定されるかもしれないのです。」
「そんなことが、そんな無法な……では林という男の方はどうなるのです?」教授の声は、声というよりも、むしろ悲鳴である。
「あの方はもう問題でないのです。最初から嫌疑の理由が薄弱だったのが、御子息の自首によって、すっかり消滅したのですから。もうすでに予審免訴と決定して、今度の裁判には、被告としてではなく、証人として法廷へ出ることになっているです。」
「では、もうせがれ[#「せがれ」に傍点]を助けるてだて[#「てだて」に傍点]はないものでしょうか?」
「ないこともないかもしれません。が、何しろこの上ぐずぐずしていては大変なことになるかもしれません。御子息は、昨日今日は、審問するたびに、前の証言をとり消したり、ことによると自分が故意に殺したのかもしれないなどと、聞いているわたしさえもひやひやするようなことを口走られるのです。どうやら、あなたがおっしゃったように、ほんとうに精神に異状をきたされたらしいのです。そうしますと、一時精神病院で療養さして、改めて審問をしなおさねばならぬかとも考えておるのです。」
「そ、そんな、そんなひどいことが……精神病院なんて、あの恐ろしい狂人と一緒に、いいえ……せがれは狂人ではありません。」
教授の身体の中にまだこれだけ興奮する力がのこっているのが不思議である。
この時、玄関でベルの音がした。判事は女中の取り次ぐのも待たずに席を立って教授にちょっとことわって室を出てゆき、玄関で何やら低声《こごえ》で話していたが、すぐに引き返してきて語りつづけた。
「これはまた意外なことを承わるものですな。御子息の精神に異状があるということは、最初あなたがおっしゃったではありませんか?」
あわれな老人は一言
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