ある。そして文学作品は、直接私たちの眼で読み、心で感ずることのできる具体的な存在である。これが科学的に研究できないといふなら、一切の科学の可能を否認しなければならぬ。人類は、かつて天界の現象を神化した。如何なる民族の神話にも天体や気界の現象が題材となつてゐないものはない。次に彼は単純な化学的現象を、魔法としておそれた。キリシタンバテレンの法などの中にもこの種のことが少なからず含まれてゐるだろうと思ふ。次に彼は生命現象こそ最後にのこされた神秘の不可侵の領域であると考へた。しかるに生理学や心理学は、生命の不思議を漸次征服してゆきつゝある。文学は観賞すべきものであつて、科学的に研究すべきものではないなどゝいふ主張は、砂糖は味ふべきものであつて、その化学的要素が何であるかなどを問題とすべきでないといふのと同様の愚説である。私は文学の研究が文学の鑑賞と両立しないものだなどゝは夢にも考へることができない。砂糖がどんな元素からなつてゐても、それが調味料としての価値を毫も失はぬのと同様である。[#地から1字上げ](大正十五年、社会問題講座)



底本:「平林初之輔文藝評論全集 上巻」文泉堂書店
  
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