求Aコルネーユ、ラシイヌ、ラ・ルシユフコー、セヴイニエ夫人、ポワロオ、ラ・ブリユイエール、ブウルダルウ等皆当時の名文家である。ひとりこれ等の大家のみならず、当時の人々はみな文章をよくした。当時は、到るところに名文の模範があつた。対話も日常の書簡もすべて名文であつた。当時の宮女は、近代のアカデミイ会員よりも文章をよくしたとクーリエは言つてゐる。而してこの高貴端正の名文は当時の古典悲劇に於て最も燦爛たる光彩を放つたのであつた。
 当時の悲劇は、貴族宮臣を喜ばせるためにつくられたものである。それ故に、作者は、あまりに残酷な真相は緩和し、舞台に殺人の場面を上せるやうなことはせず、その他叫喚、暴行、蛮行等の如き、サロンの優雅な空気に親しんでゐる人々に不快を与へるやうなことは一切避けた。それと同時に彼等は無秩序を嫌つた。シエーキスピアのやうに、むやみに空想や幻想に耽ることを避けた。劇の組立ては整然としてゐて、思ひがけない偶発事件などを挿入することを許さなかつた。そして対話には洗練された上品な語句が用ゐられた。人物はギリシアの英雄であつたが、服装その他はすつかり当時のフランスの宮廷を中心とする人士の
前へ 次へ
全35ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング