\分に立証してゐることである。併しながら、この影響を過大視することも、ひとしく間違ひである。バツクルの文明史や、テエヌの芸術学に対して、私は十分の敬意を払ふものであるが、これ等はいづれも、社会に及ぼす自然力の影響を過大視してゐるものと見做さねばならぬ。そこには必要欠くべからざる分析が省略されて、自然力と社会との間に、粗笨な、不精密な、直接な方程式が設けられてゐる。テエヌがフラマンの絵画とその地質との関係を論じてゐるが如き、一見実に科学的な見方のやうであるが、その実、極めて都合のよい独断によつて議論が進められてゐることを吾々は発見するのである。又、彼が、イギリスの文学史を叙述するにあたつて、種族、時代、地理的環境等を過度に重要視してゐるのも、甚だ独断的であつて、文学の変遷は、左様な僅かばかりの条件によつて直接に決定されるものでは決してないのである。
 しかも自然的条件は、一定の社会の特色を決定するものではあるけれども、自然的条件そのものは、極めて徐々にしか変化しないものである。地質発達史は、数万年、数十万年乃至数百万年の時間を包含することによりはじめて成立するのであつて、数百年、数千年位の短時日の間に、一定の自然条件が甚だしく変化することは殆んどないといつてよい。大正十五年と神武天皇の時代とを比べて見ても日本の気候には殆んど変化は認められぬであらう。古代ギリシヤ人と二十世紀のヨーロツパ人との間には殆んど骨格の相違は認められぬであらう。楊子江の沿岸の土地が肥沃であり、西蔵が不毛の地であるのは、秦の始皇の時代も現代も殆んど変りないであらう。
 然るに、文学の全歴史は、せい/″\数千年の間にひろがつてゐるに過ぎぬ。さうして、その間に甚だ顕著なる変化をしてゐるのである。若し、自然的条件が、文学の変遷を決定する唯一の原因であるとするならば、原因は殆んど変らないのに結果だけが目まぐるしく変つてゐるといふことになり、因果の原理は廃棄されねばならぬことになる。且つ又、人間は自然を征服する、たゞ自然に条件を強制されたまゝになつてゐるのではない。このことは近代の科学、及び工業の驚くべき進歩が立証してゐる。そこで、一社会のイデオロギイ、そしてそれを通じて文学をさま/″\に変化させるには、自然的条件以外に、もつと直接的な、もつと短い時間に作用する条件がなければならぬといふことになる。

         三

 私たちは、一定の自然環境の中に生れて、私たちの意志と独立した自然条件を課せられることは前述のとほりである。併しながら、私たちの意志と独立に、私たちの生れない先から存在してゐるものは、たゞ自然的条件だけではない。そのほかに一定の経済関係がある。私たちは、生れおちると、否応なしに、一定の経済関係の中に入り込み、是が非でもそれに適応して住まねばならぬ。たとへば、元禄時代に江戸に生れた者と大正時代に東京に生れた者とは、同じ自然的環境に生れながら、まるで異つた経済関係の中に生活しなければならぬが如くである。
 かくの如く、経済関係を時代によりて変化せしめる根本の力は社会の生産力であると解せられてゐる。生産力が一定限度まで進むと、従来の経済関係が維持せられなくなり、より高度な生産力に適応する経済関係が生じて来るのである。例へば人類が狩猟によりて生活してゐた原始時代には生産力は極めて幼稚であり、且つ狩猟の獲物は極めて不定であつた。かういふ時代には、各人がめい/\規則的に自己の衣食住に責任をもつわけにはいかない。そこで一部落の住民が共産体をつくつて、所謂原始共産制が出現する。又機械や工場ができて、社会の生産力が非常に進んで来ると、かくの如き機械や工場は、凡ての生産者がめい/\所有することは不可能でもあり不必要でもあるやうになつて来る。そこで、これ等の生産機関は一部少数の人の手に握られ、これに反して大多数の生産者は自己の生産機関をもたないで、生産機関の所有者に労働力を提供し、その代りに、賃銀を受けとつて生活するやうになる。これが即ち資本主義である。
 かくの如き経済関係の変化は、必然的にその社会の政治形態の変化を決定する。即ち、ある社会の政治形態は、どうしてもその社会の経済関係に適応したものとならざるを得なくなつて来るのである。たとへば中世時代の手工業と幼稚な交通機関と土地の生産力、農業を基礎とする経済関係とは必然的に封建政治を生み、工業の[#「工業の」は底本では「工業と」]発達と交通機関の進歩と、資本の抬頭と商業の拡大とは漸次国家の統一、ついではデモクラシイの政治を必要として来る。更に進んで、国際商業の発達、資本の集中と国際化とは、一方に於て帝国主義を生み、他方に於て政治の国際化を必要として来る。そして後者はおそらく社会主義の時代になつて、はじめて完全に実現さ
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