キる唯一絶対の条件であると見做されてゐたのに対する反動だからである。
 言ふまでもなく、個人性は、文学作品を決定する、最も直接な、そして恐らく最も力強い条件であるが、文学作品を決定する条件は、決してそれだけではない。第二の条件として、吾々は、文学上の流派を挙げることができる。即ち一定の文学上の主義、主張のもとにあつまつた個々の文学者が、その集団の影響を受けるといふことである。たとへば、未来派の作品には、いづれにも共通した特徴があり、表現派の作品には、矢張り他の流派の作と区別された共通の特色がある如くである。吾々は、シエーキスピアの周囲に、歴史によつて抹殺された多くの小シエーキスピアが存在してゐたこと、ダンテの周囲に、彼と同じやうな文学的信条によつて、彼の作品と同じやうな作品を製作してゐた多くの小ダンテが存在してゐたことを知つてゐる。明治の文学を見ても、硯友社派と文学界派、或は民友社派との間に判然たる区別を吾々は認める。自然派と高踏派或はスバル派、早稲田派と三田派等の間にも可なり鮮明な境界を画することができる。種々の名称をもつた色々な流派が文学界に並存してゐることそのことが、既に、流派といふものが、文学作品を決定する重要な条件の一つであることを明瞭に語つてゐる。
 しかし、吾々は、一層間接的ではあるが、その代り一層広汎な第三の条件を忘れてはならぬ。それは作者をとりまいてゐる一般公衆である。一般公衆の思想、観念、感情、一言で言へば、イデオロギイは、文学の流派そのものを決定し文学作品の作者の思想傾向を決定し、それによつて作品そのものを決定する最後の条件である。たとへば、ヴイクトル・ユゴオの『レ・ミゼラブル』を例にとらう。私たちは、先づこの作品にユゴオの個人性の強い現はれを見る。次にユゴオがその指導者の最も輝ける一人であつたロマンチツク派の特色をそこに見る。そして最後に、ロマンチスムの文学がその中で生育したところの当時の一般公衆のイデオロギイ即ちブルジヨアジーの勃興期のイデオロギイをそこに見るのである。
 一の文学作品を、社会学的に考察せんとするならば、吾々は、その前に、まづ、以上の如き分析と概括との過程を経なければならぬ。かやうな、分析と概括との過程を経て、はじめて、文学作品は、一の社会事実としてあらはれて来るのであつて、これ等の過程を経ずして、いきなり、ある文学作品を社会的に意味づけようとしても、それは、せい/″\気のきいた感想とはなるかもしれぬが、決して科学とも理論ともならぬのである。

         二

 併しながら、以上で分析が終つたわけでは決してない。以上に述べたところは、たゞ、文学作品を社会的事実として、社会と連関せしめたゞけである。文学を、社会学的研究の対象となし得るやうに整理したゞけである。これから先に、なほ一連の分析と概括との過程が残されてゐるのであり、しかも、真に重要なのは、これから先の過程であると言はねばならぬ。
 吾々は、今、文学作品が、作者の個人性、作者の属する流派、それから最後に一般公衆のイデオロギイによつて決定されることを説明した。ところが、この一般公衆のイデオロギイなるものが、独立して存在し、進化し、発展してゆくものではない。これを条件づける、より根本的な要素がそこにあるのである。 
 まづ第一に自然的条件を挙げるのが順序である。人間は一定の自然的環境の中に生れる。たとへば或る人は日本人として生れ、或る人はロシア人として生れる。日本人として生れたものは、生れながらにして黄色人である。日本の気候は大体温帯の気候であるが、寒暑の変化ははげしい。冬は空気が乾燥してをり、夏は湿度が高くて蒸し熱い。日本人の骨格は大体ヨーロツパ人よりも小さく、従つて体力も弱い。日本には火山が多く地震が頻々と起る。四面海にかこまれてをり、内地には山が多い。これ等の自然的条件は、日本の制度、文物、日本民族の気質、性格、思想等に直接間接に何等かの影響を及ぼさずにはおかない。否、これ等の自然条件は、それを舞台として営まれる人間の社会生活そのもの、社会そのものを決定するのである。そこで、吾々は、社会の最も基礎的条件として自然を挙げなければならぬのである。与へられた自然に適応しなければ、社会はつくれないのである。而して、自然条件の差異は、その上にできる社会に差異をもたらすのである。北極に近い氷原に於て農耕民族の社会ができることも不可能だし、アフリカの砂漠の中に工業文明が栄えるといふことも等しく不可能であるが如くである。
 この自然的条件が、人間の社会に何等の影響をも及ぼさぬと考へるのは勿論皮相な見解である。今日の科学が、この影響を精密に分析し得るか否かは別として、自然の影響が存在するといふことは、最近の人文地理学や人種学や、土俗学等が
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