J働過程の芸術的再現に制限されてゐた。此の事は吾々の知り得る最近の発達段階に立つ狩猟民族に於いて特に顕著である。正にその故に吾々は原始人の心理がその経済的活動に倚憑することを証明するに当つて、主として狩猟民族を引例したのであつた。之に反して階級に分裂せる社会に於いては、此の活動の直接の[#「直接の」に傍点]作用は、前の場合ほど顕著でない。その理由も明白である。例へばオーストラリヤの土人の婦女にあつては、舞踊は草根採取の運動の再現たるのであるが、さりとて十八世紀のフランスの貴婦人たちの優美な舞踏の一つが、何等かの生産的活動を表現するものと推定することは勿論できない。此の種の婦人は一般に全然生産的労働に従事することなく、専ら『やさしき恋愛の学問』に耽つてゐたのであつた。オーストラリヤの土人の舞踏を理解するためには、婦人による草根採取が、この種族の生活に於いて如何なる役割をつとめるかを知れば足りるのである。けれども、ムニユエを理解するためには、十八世紀のフランスの経済を知つてゐるだけでは不十分である。此の場合には、非生産階級の心理を表白するところの舞踏が問題たるのである。此の種の心理によつて謂はゆる上流社会の『慣例や礼儀』の大部分は説明し得られるであらう。さればこゝでは、経済的[#「経済的」に傍点]因素と並んで心理的[#「心理的」に傍点]因素がその地位を認められるわけである。但し非生産階級そのものは社会の経済的発達の産物たることを忘れては不可ない。即ち経済的因素は、その地位を心理的因素にゆづる場合にも、尚ほその卓越せる重要さを失はないことに留意しなければならぬ。此の場合には、それは他の諸因素の影響の可能性及び限界を規定する点において感知し得られるのである。」(「前掲書」一一三―一一四頁)
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 プレハノフが、こゝで舞踏について言つてゐることは、完全に文学にもあてはまる(但し狩猟民族は文学をもつてゐないと考へねばならぬが)。しかしながら、プレハノフがこゝで述べてゐることだけは、複雑な社会に於ける文学と社会との相関関係を説明するには勿論不十分である。今日の文学は、否、古代の文学でさへも、少くも文学を有するほど発達した社会に於ける芸術作品は、たゞに直接に[#「直接に」に傍点]生産活動を再現してゐないのみならず、一般に、極めて高度にレフアインされた形に於いて
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