閨Aその社会の経済条件だけから、直接にその作品を論じたりするのが間違ひであると同様に、作者の天分のみから作品の価値を論じようとするのも無暴であることは、以上述べたところによりてわかるであらう。
 ある文学作品の意義、価値を、科学的に決定するためには、作者の研究、作者の属する流派の研究、その時代の一般的イデオロギイの研究が必要であることになり、更にこのイデオロギイを十分に理解するためには、その時代の社会の、法制、政治、経済等の条件を審かにし、更にその社会のよつて立つ自然的環境をも探らねばならぬ。かくして吾々は、一の文学作品の科学的認識に到達したと言へるであらう。
 理解の便のために、これを図式であらはすと上の如くなる。
 社会生活が単純であつた時代には、この関係も単純である。たとへば、太古の狩猟民族にあつては、狩猟といふ生産様式が、直接に芸術の内容を条件づけてゐるが如くである。
 ロシヤのマルクス主義の碩学プレハノフは、此の[#「此の」は底本では「比の」]問題について興味あるワラツシエツクの説を引用してゐる。
「ワラツシエツクは原始民族の演劇の起源に関する自己の見解を次の如く要約してゐる。『此の演技の対象は次の如くである。(1)狩猟、戦争、漁撈、漕舟(狩猟民族、遊牧者)、動物の生活及び習慣。動物黙戯、仮面舞戯(やはり動物を表出するところの。プレハノフ)。(2)家畜の生活及び習慣(牧畜者)。(3)労働(農耕者)、米搗き、粉磨き、打禾、収穫、葡萄摘み』『……演出されるのは生存競争上絶対に必要な日常生活の事実である』」(恒藤恭氏訳『マルクス主義の根本問題』増補版九二―九三頁)
 併しながら、社会生活が複雑になつて来ると、この関係も複雑して来る。私たちは現代のさまざまな文学作品を、現代社会の経済関係から簡単に説明することは不可能である。そこには文学作品の生産される条件を決定する無数の要素があり、それらの間に複雑な作用と反作用との網が構成されてゐるからである。この点についても私は、プレハノフの見解をそのまゝ引証するであらう。彼は次の如く言つてゐる。
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「階級の区別のなかつた原始社会に於ては、人間の生産的労働は、彼の世界観及び審美心に直接に[#「直接に」に傍点]影響したのであつた。装飾術の動機は技術に存し、舞踏は――此の社会に於いて最要の芸術であるが――多く
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