引用をこゝにかゝげたわけは、先づ読者に、注意ぶかくこれを読んで貰ひたいからである。注意ぶかき読者は、この一連の引用の中から、次の事実を発見されるであらう。即はち、「文芸戦線」の社説は、芸術(特殊的には文学)の社会的役割について、ルウ・メルテン及びチエルヌイシエーフスキーよりも別箇の解釈を下してゐるといふ事実である。この解釈が、最近に於ける、プロレタリア文学の所謂マルクス主義的目的意識文学への転換の契機となつてゐるものであらう。そしてこの解釈に対する私の疑問が、或る人々をして、私の理論を実証主義的であると評せしめるに至つたものゝやうに思はれるから、この点に関する私自身の解釈、若しくは疑問をこゝではつきり述べておく義務があると私は感ずるのである。
先づ一について言へばルウ・メルテンは「芸術とは、その中に時間及び階級のイデオロギイ的内容を表明し保持してゐる形式[#「表明し保持してゐる形式」に傍点]の謂である」と言つてゐるに対し、「文芸戦線」の社説に於ては、「芸術とは意識を形式の中に体系づける[#「体系づける」に傍点]ことである。」と言つてゐる。問題の所在は、勿論体系づける[#「体系づける」
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