てる意味での自由主義的態度」、「本質に於て罪悪的である資本主義の根本的前提」を容認することになるからいけないと言つてをられるが、これ亦形而上学的方法から来る氏の理論的混乱を暴露せられたものである。自由主義が「本質的」に「罪悪的」であるといふやうな断定は、全くの独断以外の何物でもない。自由主義は、或る社会の条件のもとでは必要であり、或る社会の条件のもとでは不必要になり且つ有害になつて来たところの原理であるのであつて、決して「本質に於て罪悪的」なものではなく、従つて、さういふ理由のもとに、文芸に「個人主義に反対した意味での社会性」を要求することは形而上学的態度ではあつても科学的態度では決してない。そして文学の本質は科学的態度、方法によつてしか闡明され得ないのである。
 次に村松正俊氏の所論を検討しなければならぬ。何故なら、氏もまた、私とほゞ正反対の見地から文学の本質についての見解を示してをられるからである。
 村松氏は直截に、しかも一種の誇りをさへもつて、芸術、従つてその一部である文学にアプリオリテートを認められ、それを高唱される。だがかくの如き前提から出発された氏の芸術論がどんな結末に到
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