点]の如きは問題としないで、何が表現されてゐる[#「表現されてゐる」に傍点]かを問題とすべきである。文芸から絶対性を剥奪して、(土田氏の場合では文芸の内容から)それを歴史の中に見るべきなのだ。現に、土田氏自身すらも、すぐその次に、文芸一般から突然歴史の中の文芸に理論を飛躍せしめて、「第一に現代の文芸[#「現代の文芸」に傍点]は所謂個人主義に反対した意味での社会性をもたなければならぬ」と言つてをられる。このことは、文芸についても、少しでも、積極的な、具体的な、内容的な提言をしようとするならば、文芸の歴史性を抽象することのできないことを語つてゐる。文芸一般に対して「無産者性をもつこと」を要求するが如きは、無産者そのものが既に歴史的産物なのだから、不可能でもあり、無意味でもある。私たちの理論は、文芸が無産者性をもつべきことを要求したり主張したりするかはりに、如何なる社会の条件のもとに文芸が無産者性をもつかといふことを究明することにあらねばならぬ。
又、氏が「個人主義に反対した意味での社会性」を現代の文芸[#「現代の文芸」に傍点]に要求する理由として、個人主義は「契約の自由、商業の自由といつ
前へ
次へ
全22ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平林 初之輔 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング