り、社会の比較的安定である場合には、特にかゝる意識は凡ての人に於て稀薄となる。かゝる条件に於ては芸術は、所謂自然成長的に、換言すれば芸術それ自身の自律性によつて発育する。そしてその芸術論は、たとひ人類のための芸術論といふ外被におほはれてゐようとも、著しく芸術のための芸術の色彩を帯びる。それは必然であつて、ブルジヨア社会と特殊の関係をもつてゐるものでもなければ、芸術観として絶対に幼稚なものでもない。
かくて、私は目的意識文学を認めると同じ理由によりて「芸術のための芸術」的文学をも認める。苟くも科学的理論に於ては、存在するものゝ意味を全的に否定して、そこから出発するのは誤である。存在するものゝ理由を認めつつ何がさうさせたかを研究すべきである。若し、今日に於て、無産階級的、社会主義的理論(文学の場合に於ても)が、他の理論に比してすぐれたもの、進歩したものであるとすれば(さうであることは後に来るものにとつて当然であるが)それは、単なる盲目滅法の対抗、盲目的敵本主義から出発すべきではなくて、ブルジヨア文学(文学に限つていへば)が如何なる社会的条件によつて生れたかを考究することからはじめられたも
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