もつのはそのためである。しかしながら、芸術のための芸術論は、ブルジヨア社会の特産物ではなくて、それ以前の社会にもあつたし、社会主義社会に至つても想像し得る。といふわけは、文学は必らず政治の指令下にたゝねばならぬ義務をそれ自身にもつてゐるのでもなく、文学者は必ずしも政党の命令によつて創作活動を営む義務をもつてゐるものでもない。たゞ社会主義者が文学者である場合には、社会主義に最も忠実ならんとする限りに於て、その文学活動が社会主義の実践でなければならず、反動主義者は、反動の目的に忠実ならんとする限り、文学を反動の目的に利用せねばならず、国家主義者は、その文学活動をあげて国家のために奉仕すべきであるのに他ならぬ。
 何々主義者といふのは、一定社会に於ける客観的条件及びそれから必然に生ずる政治闘争の目的、意味を意識してゐる者のいひである。芸術が目的意識的となることは、それの作者が、社会の客観条件、及びそれより必然に生ずる政治闘争の意味を意識すること、即ち今の階級戦の場合には、芸術家が社会主義者となることにほかならぬ。
 だが、かゝる意識はすべての人のもつものではなく、政治的前衛のみのもつものであ
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