のでなければならぬ。
 私は、勝本清一郎、田口憲一両氏の所論について、最も多く筆を費すつもりでゐたのであるが、それ等について一言もふれないうちに予定の紙数がつきてしまつた。勝本氏はより多く芸術の自律性に関心をもたれ、田口氏はより多く政治闘争の必要に関心をもたれる別があるに拘らず、両氏の所論は最近に於けるプロレタリア文学理論のうちで、最も注目すべきものであつたし、私自身も、それによつて啓発されることが少なくなかつたことだけを指摘して、それ等の検討は他日に譲らうと思ふ。最後に私が「文学の本質」について何等積極的な提言をし得なかつたのは、忙しさと紙数との制限も非常にあづかつてゐるに拘らず、私の考へがまだ殆んど五里霧中であるためであることは、この私の論文自身が到るところに理論的混乱を暴露してゐるであらう事実によつて読者はうなづかれるであらう。私はまだぼんやりした明りをみとめながら、それをたよりに筆をとつたのだ。今後、幾多の修正を、読者の示教と私自身の反省とによつて加へてゆくことが絶対に必要である。何となれば、こゝに論じたことは理論の基礎をなす部分の一つだから。[#地から1字上げ](昭和二年五月
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