言へる。これは凡ての現象の決定性を主張することにほかならない。現象の因果関係の認識に他ならぬ。しかしながら、存在するものは、すべていつまでも正当な存在権をもつといふ風に解するならば、この説は明かに暴論である。現象は流動する。或る一定時刻に正当であつた存在も、次の時期に於ては正当でなくなることは可能であるばかりでなく、むしろ必然である。かくて、卵のときに正当であつた卵殻が、雛の時には無用の長物となり、それを破棄することが正当となる。それと同時に、或る目的を規準にして考へるならば、発生のそも/\のはじめから正当でない存在もある。人間の生命を規準にして考へるならばコレラ菌の存在は、はじめから正当でない。しかもコレラ菌が一定の条件のもとに発生することは完全に必然である。因果の原理は破られない。そこで、私たちは、文学理論を科学的基礎におくといふ目的のためには、一切の非科学的理論を排除しなければならぬ。この場合には、ロマンチシズムと自然主義とが、文学理論の領域に於て同等の市民権を要求しても無益である。私たちが目的を意識する瞬間にそこに価値の別が生ずる。そしてこの価値の軽重は、いづれがより科学的であ
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