でも若い人々が、他人に発表しようといふ希望も意思もなしに、たゞ自己の心中から湧きでるまゝの思想感情を紙に書きつけて楽しんでゐる場合、表現そのものが文学の目的となつてゐると言ひ得る。
けれども、社会が一定度の複雑な組織になつて来ると、読者を楽しませるといふ目的が、これに明白に加はつて来る。単に自分が楽しむだけではなくて、読むものを楽しませるといふ役割を文学がもつて来るに至るのは、けだし、最も自然な発展の径路でもあらう。近世の君主国に見る宮廷文学、封建時代の御用文学、それから、今日の商業文学(文学作品が完全に商品化した時代の文学をさす)等には、この目的が特に鮮明である。この場合には、貴族、君主、又は今日の場合では一般購買者を喜ばすことができなければ文学は存続することは許されないからである。
第三の啓蒙文学、更にその発展した宣伝文学、革命文学に於て、私たちは、もう一度目的の進化をそこに見る。単に読者をたのしませるだけでなくて、読者の心に何物かを与へ、それによつて読者を啓蒙し、人類社会の改善に貢献するところあらしめようと意欲するに至るのも、これ亦、至極当然の径路である。十八世紀の啓蒙文学、
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